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第１１章 秘密
矢崎と石墨がロビーから玄関に出て行った直後、犬養の背後に稲葉が現れた。
「あの二人は、今夜も一緒に飲みに行ったのか？｣
稲葉が、小声で尋ねた。
「写真好き同士で、意気投合したみたいですよ｣
「きっと裏に何かあるに違いないさ。所で、矢崎という客は、いつまでここに滞在するんだ？」
「あと二、三日はいるみたいですよ。専務に頼まれた撮影の仕事が明日まで掛かるみたいですね。でも、それがどうかしたんですか？」
「いや、何でもない。ちょっと気になっただけだ」
「カメラ片手に、気侭な一人旅らしいですよ。羨ましいですよね。僕も早く定年を迎えて、のんびり旅したいなぁ」
「お前に定年は、まだ早いわ。バシバシ仕事をしてもらわなきゃいけないからな。所で、札幌ブライダルのレポートはまとまったんだろうな？」
「準備はオッケーですよ」
「来月また、札幌に飛んでもらうから、宜しく頼むぞ。それはそうと、お前もあの二人の行動には気をつけておけ。何か情報を得たら報告しろ｣
「報告って言われてもなぁ…、何だか、スパイみたいで気乗りしないなぁ」と呟いた。
「何だと、お前は一体、どっちの味方なんだ」
「別に、どちらの味方でもないですよ」
「いいか犬養、俺はお前の秘密を握っているんだぞ。つべこべ言わないで、指示に従え、分かったな」
稲葉が、犬養の耳元で囁いた。有無を言わせぬ口調だった。
「分かりましたよ、何か分かったら報告しますよ」
と憮然と呟いて、犬養はロビーを立ち去った。
稲葉は、足早に廊下を歩き、社員用の裏口から外に出た。周囲に誰もいないのを確認してから、携帯電話を取り出した。
「もしもし、俺だ。今夜も専務の動向を探って欲しいんだ。場所と時間は昨日と同じだ。うん、分かったよ。今晩、仕事が終わってから、いつもの所で会おう」
通話を終えると、稲葉は不敵な笑みを浮かべて館内に戻った。
タクシーのシートに腰を静めると、矢崎は物凄い睡魔に襲われた。
肩を揺すられて起きると、恋時雨に到着していた。
店内は多くの客で賑わっていた。
矢崎と石墨は、ビールで乾杯した。すきっ腹にアルコールがしみ渡った。
お通しを摘みながら酒を飲んでいると、石墨が今日の撮影の進捗を聞いてきた。
矢崎は眠い眼を擦りながら報告したが、疲労がピークに達していた。
すきっ腹に酒を入れて、酔いが急速に回ってきた。
睡魔に負ける前に、写真だけは渡そうと、夕焼けの写真を取り出して石墨に手渡した。
これで今晩の仕事は終わりだとホッとした。
「表彰式で彼女を見た時、何処かで会ったことがあると思ったんですよ。声にも聞き覚えたがあったし…。それに、シルエットは、彼女そっくりでしょう」
「確かに、よく見ると、シルエットは、あの二人にそっくりだ」
石墨が、ほくそ笑んだ。
矢崎は、一刻も早くホテルへ帰ってフカフカのベッドで眠りたかった。老体に鞭打って歩き続けたツケが回って、睡魔が淀みなく体を覆い、起きているのが限界だった。
朦朧としていた矢崎は、料理を運んできた店員の威勢の良い声で、ハッと我に返った。
女性店員が、手際よく皿をテーブルの上に並べた。
矢崎は、取り敢えず話は脇に置いて、次々と料理に箸を付けた。
腹が満たされると、睡魔に勝てずに、うとうとし始めた。
石墨は、写真を手にしながら、考えにふけった。
矢崎の話では、この写真を撮ったのは、七夕の頃だという…
その頃、稲葉は札幌に出張していたし、愛子も、静岡にいる母親が病気になったという理由で会社を何日か休んでいた。
石墨が睨んでいた通り、噂は本当だったのだ。
「これであの二人は、お仕舞いだ。ざまぁみろ。セクハラ問題で俺をはめようとした借りを、倍にして返してやる」
石墨は呟いて、目をギラつかせた。
「所で矢崎さん、これを撮影した場所は何処ですかね？海の向こうに富士山が見えるので、西伊豆あたりですかね？」と尋ねた。
矢崎は、テーブルで鼾(いびき)をかいて寝ていた。
揺り動かしてみたが、起きなかった。
石墨は迎えのタクシーを呼んでから、店員の助けを借りて、肩を担いで車まで連れていった。
その時、矢崎のポケットから、折り畳まれた紙片が落ちた。
石墨が店から出て行った後、茶髪にサングラスを掛けた女の客が、そそくさと紙片を拾い上げた。
女は、それを何食わぬ顔で、上着のポケットに忍び込ませた。
第１１章 終了
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