朝比奈颯季　ネット小説 / 軽井沢ヴィラ・ヘメロカリス第２０章　押花の謎： Satsuki Asahina Web Novel / Karuizawa Villa Hemerocallis

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　第２０章　押花の謎

　木内たち刑事二人は、健一郎を探したが、見つからなかった。園芸の仕事を一休みして、何処かで休憩でもしているのだろう。二人は諦めて、館内に引き返した。

　ロビーに戻ると、犬養が外回りから帰ってきていた。
「刑事さん。何か、お話があるようで」
「聞きたい事がいろいろあってな。先ずは、専務の車種を教えて欲しいんだ」
「専務の車は、トヨタのランクルだったかな。今日も専務は休んでいるみたいですね。体調でも崩したのかな？」
「何を惚けてるんだ、専務は誘拐されたんだろうが」
　木内は、言った。
「ゆ、誘拐ですって！」
　犬養が、目を見開いて驚いた。

　木内は、犬養の驚嘆ぶりを見て、しまったと思った。
　平社員の犬養には、誘拐事件のことは知らされていなかったのだ。
　木内は、それを忘れてうっかり喋ってしまった。
「刑事さん、誘拐って、どういう事ですか？」
　木内は、唇に人指し指を立て静かにと促してから、彼をロビーの端っこに引っ張って行き、小声で囁いた。
「この話は、他の従業員には絶対に言わないでくれ。実は、石墨専務が誘拐されたんだよ」
「何故、僕には内緒にしているんだろう」
　犬養が、憮然とした。
「脅迫状には警察に通報したら専務は殺すと書かれてあったんだ。さらに、ホテル内にスパイがいるらしい。従って、幹部以外には知らせないことにしたそうだ」
「そう言う事情があったんですか…専務を誘拐するなんて、絶対に許せない。刑事さん、僕も犯人逮捕には協力しますよ」
「誘拐事件は、警察に任せておいてくれや。それよりも、君には、矢崎の殺人事件の方で聞きたいことがあるんだよ。ちょっと、これを見てくれねぇか？」
　木内は、ネックレスを取り出して見せた。
「鎖に小さなプレートが付いていて、Ｉと刻印されている。犬養さん、あんたのイニシャルもＩだ」
　木内は、犬養の反応をみた。
「まぁ、それはそうですが。男の僕が、ピンクの水晶の付いたネックレスなんてしませんよ。所で、刑事さん、これを何処で？」
「釜ヶ淵の甌穴（おうけつ）に落ちてあったんだ」
「釜ヶ淵？何故、そんな所に」
「それを聞きたいのはこっちだよ、このネックレスが誰の物か知らないか？」
「いえ、知りません」
　犬養は、頭を振った。
「何だ、知らねぇのか、チェッ」
　木内は舌打ちをした。
「それにしても、不自然ですね。釜ヶ淵にネックレスなんて落とすでしょうか？」
「確かに、僕も不自然に感じました」
　金子が頷いた。
「何か、作為的なものを感じますね」
　犬養が、目を細めた。
「いや、これはきっと犯人の物に間違いねぇ。恐らく、犯人が矢崎と争っている間に、落としたんだ。つまり、このネックレスの持ち主が犯人ということだ」
　木内は、自信満々に頷いて、矢継ぎ早に質問した。
「さて次は、この写真を見てくれや。矢崎の部屋にあった写真だ。見ての通り、破られている。破ったのが矢崎本人だとすれば、彼が、この男を憎んでいたと推測できる。このサングラスの男に見覚えはねぇかい？」
　犬養が、写真をマジマジと見詰めた。
「すいません、良く分かりませんね」
　犬養は、頭を振って写真を返した。
「ちぇ、分からねぇだかい」
　木内は、舌打ちした。

　木内の後に、金子が質問をした。
「実は矢崎さんの遺留品の手帳の中に押花があったんです。手帳には、エゾカン、ニッキ、カルキと添え書きされてありました。これが、その写真です。三つとも似たような花です」
　金子は、写真を犬養に見せた。
「エゾカン、ニッキ。そして、カルキですか…なるほど、分かりましたよ」
　犬養が、平然とした態度で答えた。
「はぁ、分かっただって？あんた、あんまり調子扱いた事を言わない方が良いぞ。後で植物に詳しい会長に聞こうと思ってるんだ」
　木内は、面白くなさそうに横目で犬養を見た。
「会長なら分かると思いますよ。では、僕の出る幕ではありませんから、会長に聞いてください」
　犬養は、つれない素振りで写真を返した。
「おいおい、もったいぶるなよ。参考程度にはなると思うから、ちょっくら言ってみろや」
「分かりました。では、お話しましょう。先ず、カルキと言うのは、夕菅の事を指しているんだと思います」
「カルキと夕菅では、何のつながりもない気がしますが…」
　金子が、首を傾げた。
「実は、観光協会が中心になって、軽井沢の夕菅を、「軽井沢黄菅（かるいざわきすげ）]という愛称を付けて、観光ＰＲをしているんですよ。矢崎さんは、その軽井沢黄菅を略称して、「カルキ」と書いたと思います。押花をするときに長ったらしい名前を書くのは面倒ですからね。僕も、時々、メモ帳に押花をしますが、後で自分が見て分かる程度のメモ書きしかしませんね。暗号みたいなものです」
「じゃあ、ニッキとエゾカンは？」
「ニッキは、日光黄菅（にっこうきすげ）の略字でしょう。矢崎さんは、軽井沢に来る前に霧が峰に行ったと言っていました。霧が峰は日光黄菅のメッカです。そこで採取したものでしょう。エゾカンと言うのは、恐らく蝦夷甘草(えぞかんぞう)だと思います。外見は、日光黄菅そっくりですが、信州には生えていません。うーん。あっそうか、松本だ。なるほど、そういうことか…」

「松本には、蝦夷甘草が生えているのか」
　木内は、目をひん剥いて尋ねた。
「いえ、生えていません。確か、矢崎さんは、松本でレンタカーを借りていましたね」
「あぁ、駅前のレンタカーで借りている。前にも言ったが、俺の推理通り、特急あずさで松本まで来たのだろう」
　木内は、言った。
「おそらく、それは違いますね。矢崎さんは、飛行機で松本空港に来たのではないでしょうか？松本には札幌便があります。そうすれば、一枚目の花が蝦夷甘草であるということが説明できます」
「その蝦夷甘草って言う花は、北海道にしか生えていないんすか？」
　金子が、メモを取りながら質問した。
「そうです。本州では日光黄菅が主流ですが、北海道では蝦夷甘草が主流です」

「あんたは、随分と北海道の事に詳しいんだな？」
　木内は、怪訝に思って尋ねた。
「軽井沢に来る前は札幌にいたんで、北海道の植物にも詳しいんですよ。植物学的には、花柄の長さや花の厚みに違いがあるらしいですが、正直いって僕も区別はつきません。何れにしても、矢崎さんが、信州に来る前に、北海道にいた可能性は高いですね」
「これだから素人さんは困るね。松本空港に着陸したら、松本空港前のレンタカーを借りるだろう。彼は、松本駅前で借りてるんだよ。残念ながら君の推理は外れだね」
　木内は、勝ち誇った顔で言い放った。
「札幌便が松本に着くのは、午後２時ぐらいだと思います。だから、当日にレンタカーするのは勿体ないので、松本空港からは、バスかタクシーで市内まで移動して、松本城でも観光したんでしょう。そして、翌日の朝、駅前でレンタカーを借りて移動したのでしょう。刑事さん、矢崎さんがレンタカーを借りた前日の札幌便の搭乗者名簿に彼の名前がないかを調べてもらえませんか？」
　犬養は、人懐っこい笑みを浮かべた。
「分かりました。早速調べてみます」
　金子は即答したが、木内は面白くなかった。

「所で刑事さん、専務の誘拐事件については、警察には通報していない事になっているんですよね？」
　犬養が、尋ねた。
「そうだよ。さっき、そう説明したろう」
　木内は、憮然と答えた。
「だとすると、ホテルの中で、お客さんや従業員に尋問するのは危険なんじゃないんですか？」
「何が危険なんだ。俺は、矢崎の殺人事件の方を捜査しているんだ」
「でも、普通のお客様から見れば、刑事は刑事です。もし、誘拐犯が言う通り、このホテルにスパイが紛れ込んでいるとすれば、刑事さんを見て、通報したと思うかもしれませんよ」
　犬養は、声を潜めて囁いた。
　木内はハッとした。
　確かに犬養の言う通りかも知れない。
　自分の行動は、誘拐事件の捜査とは分けて考えていたのだが、自分が刑事であることに変わりはない。迂闊だったかも知れない。
　木内は、聞き込みをしたいのは山々だったが、後ろ髪を引かれる思いで、そそくさとホテルを後にした。

　金子は佐久署に戻ってから、松本空港に問い合わせの電話を入れて、矢崎が松本でレンタカーを借りた日の前日の搭乗者を調べてもらった。
　結果は、犬養の推理通りだった。
「木内さん、犬養さんにまたやられましたね」
　金子が、皮肉染みた顔でニヤリとした。
「ふん、たまたまだよ。奴が野草に詳しかっただけのことだ。それに市民の協力を如何に引き出す事が出来るかが、警察の腕の見せ所だからな」と言い訳をした。
　木内は、謎が解けて喜ぶ気持ちよりも、またしても推理で犬養に負けた事の方が悔しかった。
「余程の切れ者か、若しくは、全てを知っている犯人か…」
　木内は、悔し紛れに呟いた。
「まさか、それはないっすよ。事故として処理されそうだった事件を、犯人自ら、殺人事件だと忠告しますか？」
「そうだけんど。世の中何が起こるか分からねぇからな。全ての可能性を考慮して捜査に当たると言うのが捜査の基本だ」
「確かにそうっすけど…彼が犯人だとは思えないっすね。所で、木内さん。矢崎が北海道から来た事と、殺害された理由の間には、因果関係があるんすかね？」
「長年の経験から言わせてもらえば、その線は薄いな。単に、北海道旅行に行ってきただけだろう」
「そうっすかね、俺は何か関係があるような気もするんですが…」
「まぁ、結論を焦るな。家宝は寝て待てっつうじゃねぇか。誘拐された石墨の身柄が確保されれば、事件は解決したようなもんだ。特別捜査班の働きに期待しようじゃねぇか」

　木内は、椅子に凭れて茶を啜った。
　だが、内心は非常に焦っていた。
　殺人事件では、初動捜査が重要になる。
　今回は、最初の段階で事故と推測して出遅れていた。
　これ以上遅れたら、証拠や証言がさらに希薄になってしまう。
　人間の記憶など儚いものだ。
　今朝の朝食のメニューさえ覚えていないのに、数日前のことを正確に記憶しておくことは、不可能に近い。
　事件発生から時間が経てば立つほど、人々の頭の中から真実が消え去って行くのだ。
　木内は、茶を啜りながら、こめかみに手を当てた。

　第２０章　終了

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