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第２６章 般若の嫉妬
芳恵は、地下鉄に乗り、大通駅で降りた。
せっかくの土曜日だが、真之は学会の準備で忙しいので、一人で大通のデパートに買い物に来た。
今年の学会は札幌開催なので、真之は手配やら根回しなどもあって大変らしい。
パルコや丸井今井などのデパートの洋服売り場などを巡った。
気に入った洋服を買った後は、札幌で大人気のスィートポテトを買いにデパ地下に向かった。
長蛇の列が出来ていた。この長さだと１５分は掛かるだろう。
しかし、それでも並んで食べるだけの価値はある。
あの蕩けるような甘さと食感が堪らない。
「ねぇ、ママ。何時になったら買えるの？立ってるの疲れちゃったよ」
前に並んでいる男の子が、母親の背中を引っ張った。
「もう、ちょっと待ちなさいって言ってるっしょ。我慢して並べば、食べる時に、それだけ美味しいって感じるの」
母親が、振り向いて子供を諭した。
芳恵は、その顔を見て、アッと思わず声を上げた。
母親も芳恵の声に反応して、こちらを見た。和子だった。
「あなたは、百合が原公園で…」
「私、安浦と言います。お子さんがいたんですね」
「もう少しで四十路ですから、子供もいますよ。若いあなたとは違いますよ」
和子は、自嘲じみた笑みを見せた。
「そうですか、見た目が若かったので、もしかしたら独身かなって思ってたんです…」
芳恵は、自分が早合点していた事が恥ずかしく感じた。
それと同時に、安堵した。
結婚して子供もいるなら、彼女が恋敵(こいがたき)になる事はないだろう。
「あらっ、そうですか。そんなに若く見えるかしら」
和子は、満更でもなさそうに微笑んだ。
「えぇ、３０歳て言っても通じますよ」
芳恵は、お世辞を言った。
「まぁ、そんなに褒めても何もでないわよ」
「めんこいお子さんですね」
芳恵は、男の子の傍らにしゃがみこんだ。
「ぼく、お名前は？」
「えーと、清田幸明。小学校２年生なんだ」
「オバサンは？」
「えっ、オバサン？」
思わず芳恵は自分を指差した。
その時、隣にいた姉が少年に耳打ちをした。
「あっ、ごめんなさい。お姉さんの名前は？」
「安浦芳恵。よろしくね」
「ふーん、オネエサンは何歳なの？」
「年はねぇ…うーん、何歳に見えるかな？」
「そうだね、３０歳くらいかな」
その言葉に芳恵は返す言葉がなかった。
全く、子供は正直だから恐ろしい。
本当の年は27歳だが、研究室に篭もってマニアックな研究ばかりしているせいか、久々にあった友人にも少し老けたねといわれた。
「馬鹿ねぇ。女性に年を聞くなんて失礼っしょ。それに、年を言うんだったら、ちゃんとサバ読んで言わなきゃ駄目っしょや」
姉が、弟に注意した。
芳恵は益々自信を失ったが、顔には出さないようにして姉に話掛けた。
「お姉ちゃん、しっかりしてるね。お名前は？」
「由美子です。小学校４年生です」
「そう、めんこい顔してるから、クラスでも男の子にモテモテなんじゃないの？」
「駄目、駄目。うちのクラスの男子は、子供っぽくて。恋愛の対象になんかならないのさ」
由美子は、ませた事を言って手を横に振った。
「お姉さんも、ここのスイートポテト好きなの？」
「うん、なまら好きだよ」
「私も大好きなんだ」
由美子は、愛らしい笑顔を見せた。
並んだ客が少しはけて列が移動したので、和子たちは前を向きなおした。
和子は、スィートポテトを買い終わってから、芳恵に目礼して帰って行った。
芳恵はスィートポテトを買ってから、地下街を歩いて考えた。
和子に子供がいるなら、真之とヨリを戻すことはないと決め込んだが、よくよく考えてみると、子供がいるからと言って不倫をしないという保障はない。
そう思うと嫉妬心が、再び、高まって来た。
子供がいるくせに、真之にちょっかいを出すとは…
芳恵はイライラしてきて、袋の中からスィートポテトを取って齧った。
和子の娘は小学４年生と言っていた…若しかしてと芳恵は考えた。
別れたのは１０年前と言っていた…
由美子のすらっとした鼻や目付きが、何処となく真之と似ていなくもない。
まさか…真之の子供。
そんなの絶対いやだ。
芳恵は頭を振った。
ふと、地下街のガラスウィンドウに自分の顔が写った。
振り乱した髪が顔に掛かり、眉間に皺を寄せた厳しい顔付きをしていた。
般若みたいな顔…芳恵は自分の顔をそう感じた。
最近、自分がどんどん嫉妬深い女になっている気がした。
以前は、こんなに嫉妬に狂う事はなかったのに…
本当に、般若のようになってしまうのではないか…
芳恵は、自分の精神に、不安を覚えた。
第２６章 終了
→ 第２７章 ： 家出 へ
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