朝比奈颯季　ネット小説　神成探偵社の事件簿1～支笏湖に消ゆ～　第２５章　思い出の喫茶店

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支笏湖に消ゆ　；　神成探偵社の事件簿１

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神成探偵社の
事件簿１
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思い出の
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　第２５章　思い出の喫茶店

　真之が、和子からの手紙を受け取ったのは、待ち合わせ前日の火曜日だった。
　封筒を目にした時、真之はがっかりした。
　面会を拒否する内容が書かれていると予想したからだ。
　しかし、手紙を読んでホッとした。
　手紙に書かれていたのは、日時と場所の変更だった。
　水曜日は家を出る事が出来ないので、次の週の木曜日にして欲しいという事だった。
　午後２時。
　場所は、学生の頃に良く行った喫茶店が指定されていた。

　待ち合わせの当日、真之は研究所を抜け出して喫茶店に向かった。
　駐車場に車を停めて、学生時代、和子とよく一緒来た喫茶店「みるく」に入った。
　約束の時間よりも１０分前に来たというのに、既に和子は店内にいた。
　和子以外には、白髪混じりの初老の男性だけしか客はいなかった。
　約束の時間には、必ず真之よりも早く来るのは、昔と変わっていなかった。
　あの頃と変わったのは、彼女が、真之の彼女ではなくなく、他の男の妻だということだった

　札幌の街も、学生の頃とは大分変わった。
　札幌駅北口には高いビルが次々と建設されているし、郊外にはドーム球場も出来た。
　北海道大学のキャンパスも随分と変わった。
　かつては、緑豊かなポプラが生えて、馬術部の馬が草を食んでいた北十八条の大学門周辺は、巨大な道路がキャンパスの地下を貫通していたし、広大な農場には、真之が働いている先端医薬研究所も新設された。
　真之だけは、相も変わらず、独身で研究に没頭するという変わらぬ生活をしていた。
　何だが、自分だけが取り残されているような寂しさを覚えた。

「やあ、相変わらず。早いね」
　真之は、努めて快活に言った。
「時間にルーズなあなたが、１０分前に来るなんて思わなかったわ」
　和子は、皮肉を言って、コーヒーを啜った。
「僕の用件は、手紙で伝えてあるから、単刀直入に質問するよ。由美子ちゃんは、僕の子供なんだろう？」
「私も単刀直入に答えるわ。あの娘はあたなの子供ではありません。私と夫との子供です」
　和子の目は、凛としていた。
「したら聞くけど、由美子ちゃんの血液型は何型だい？」
「由美子はＡ型よ」
「和子は確かＡＢ型だったよな。所で旦那さんの血液型は？」
「あなたと同じＡ型よ」
「そうか、したら血液型では判別できないな」

　真之は、注文したコーヒーに口を付けた。
「相変わらず、ミルクは入れないのね？」
「やっぱりコーヒーはブラックに限るよ」
「店の名前は、みるくなのに？」
　和子は、そう言ってクスクスと笑った。
　和子の台詞を聞いて、真之も思わず笑いが漏れた。
　付き合っていた昔も、和子が同じ質問をしたのを思い出した。

　付き合っていた頃、和子が一度くらいミルク入りのコーヒーを飲んでみればと薦めたが、真之は頑として受け付けず、ミルクを入れる入れないで、大喧嘩したことを思い出した。
　張り詰めていた真之の気持ちが、少し楽になった。
　和子も少し打ち解けた雰囲気になった。
「あの頃は、僕も研究に打ち込みすぎていて、君の心をしっかりつなぎ止めておく事が出来なかった。今でも後悔しているよ…」
「あら、あなたからそんな殊勝な言葉が出るなんて思わなかったわ。でも、気付くのが遅すぎたわね。人間が化石を見て、恐竜の存在に気付いた時には、既に恐竜は絶滅しているのと同じね」
「どういう意味だい？僕にはよく分からないなぁ…」
「論理的な思考で作られているあなたの脳では、人類が絶滅する直前にならないと理解できないかもね」
　和子は、そう言って笑った。
「そういえば、君は学生の頃も、時々、意味不明な喩えを言っていたね…あの頃も、時々、君の話が理解できないことがあったなぁ。思い出したよ。そういえば、和子に振られる前の月だった思うけど、忙しくてバレンタインデイに会えないと僕が言ったら、物凄く拗ねた事を思い出したよ」
「当然でしょ。あなたにプレゼントしようと思って、マフラーを一生懸命編んでいたのに、急に会えないっていうんですもん。なまら腹が立ったから、マフラーを火にくべて燃やしちゃったわ。もう一緒にやっていけないって腹を決めたのは、あの時よ」
「研究の追い込みで忙しかったんだよ。和子は、僕の状況を理解してくれてると思っていたけど…それが、僕の大きな勘違いだったんのかな」
「そうよ。大きな勘違いね。女は見切りを付けたら、別れるのは早いんだから」
　和子は、そう言って、コーヒーを飲んで、ふーっと溜息を付いた。
「僕は、君がプロポーズを受け入れてくれるとばかり思っていた。だから、断られた時はショックだったよ。あれは確か、３月３日の雛祭りだったね。僕にとっては、生涯忘れられない雛祭りになったよ。あれ以来、桜餅を見るたびに思い出すんだ。だから、君と別れて以来、桜餅は縁起が悪い気がして、食べないんだ」
　真之は苦笑してから、コーヒーを啜って、手帳を開いた。

「悪いけど、由美子ちゃんの生年月日を調べさせてもらったよ。10年前の11月1日。その日からさかのぼって計算してみたら、妊娠初日は、2月3日頃となる。バレンタインデイで君が機嫌を損ねてから、僕も忙しさに感けていて、中々会う機会がなかった。
　したから、2月24日のバレンタインデイから3月3日までは関係がなかった。したけど、バレンタインデイより前は何度か会ってしていたはずだよ。
　あの頃は、避妊具を付けていなかった。君も何も言わなかったから、子供が出来ても構わないと思っているとばかり思っていたんだ」
「医学博士だけあって、妊娠周期についても詳しいのね。でも残念ながら、由美子は1ヶ月の早産で生まれたの。つまり、出産予定日は、12月10日だったのよ」
「と言う事は、妊娠初日は1ヶ月さかのぼって、だいたい3月3日という事か…」
「その頃、あなたとは関係してなかったでしょ。それは、あなたが一番覚えているはずよ」
「それにしても君に振られた日が、妊娠初日とは、皮肉なもんだな。と言う事は僕と別れる前に、今の旦那と関係があったということか…」
「あのね、あんた医者っしょや。薬の研究ばっかりしてるから忘れてるかも知れないけど、妊娠初日の計算は、最後の生理日から数えるのよ。つまり、3月3日が私の最後の生理のあった日ということね」
「生理があった日の前には、妊娠するはずはないということか…」
「そう、そう言うことよ。だから、妊娠初日の計算が3月3日だからと言って、その日に、セックスをしたという訳じゃないのさ」

　真之は、コーヒーを口に運びながら、気分を落ち着かせた。
「じゃあ、母子手帳を見せてくれ。母子手帳には、妊娠初日や出産予定日が書いてあるはずだ。それを見せてくれたら、僕も納得できる」
「母子手帳は、前のアパートから今の一戸建てに引っ越す際になくしちゃったわ」
「という事は、妊娠初日が3月3日だという事を証明する物はないという事だね」
「真実は、母親の私が一番分かっているわ。その私が言っているんだから間違いないわ」
「口では何とでも言えるからね。妊娠初日が2月3日という事になる。とすれば、僕が父親である可能性が高い」
「悪いけどその可能性はないわ」
「そんな事はないさ。だって、僕と別れる前には、今の旦那と関係はなかったんだろう？」
「今までは良い女の振りをしていたけど、正直に話してあげる。今の旦那とは、あなたと別れる前から、関係があったわ」
　和子は、そう言って、真之を睨んだ。

「そ、そんな…僕は和子を信じていたのに…」
「恋人をほったらかしにして、信じてたなんて…よく、そんな台詞が言えるわね。笑っちゃうわ。
　この際だから、はっきり言っておいてあげる。私だって不安で心が押しつぶれされそうだったのよ。
　でも、あなたは、自分勝手に渡米を決めて、私にプロポーズした後も、創薬の研究に掛かりっきりだった。別れる時にも言ったけど、私は、あなたと一緒に渡米して、誰も知り合いのいない国で一人ぼっちで暮らすのは耐えられないと思ったわ。
　そんな私の悩みに耳を傾ける訳でもなくあなたは研究ばっかりしていた」
「それはそうだけど…」
「そんな時に、同じ会社で気心も知れていた文忠さんが、色々と相談に乗ってくれたの。それで、あなたのプロポーズを断る前に、あの人と付き合い始めたわ。でも、心は完全にあなたから離れていたから、浮気をしたとは思ってないわ」
「しかし、２月には僕と関係していた事実は変わらないだろう。和子が二股をしていたとしても、僕が父親である可能性はある筈だ。となると、どちらの子供かは、和子にも分からない筈だ」
「２月に妊娠することは有り得ないわ。確かに、２人と関係を持った期間があったわ。でも私だって馬鹿じゃないわ。その期間は、避妊薬のピルを服用していたから妊娠することはないのよ」
「君はピルを飲んでいたのか…そんな事、僕には一言も言ってくれなかったじゃないか」
「秘密で飲んでいたんだから、言う訳ないっしょや」
　和子は、声を荒げて言った。

「したけど、君がピルを飲んでいたなんて信じられないな」
「はっきり言うわ。もうこれ以上、私たちに構わないで。お願い、幸せな私の家庭を壊さないで欲しいの」
「分かったよ。ただ、納得するためにＤＮＡ鑑定をさせてくれ。その結果を見たら僕も諦めるよ」
「どうしてあなたは、私の言う事を信じてくれないの。それほど、私の言う事が信じられないの？」
「自信があるなら、別に良いじゃないか」
「ＤＮＡ鑑定は断ります。そういう鑑定をする事自体、女性である私への冒涜だって事が気付かないの？昔からあなたはそうだった。人の気も知らないで、薬の研究ばっかり。自分勝手に物事を進めて行って。だから私はあなたと別れたのよ」
　和子は、昔からの不満を爆発させた。
「僕は遊びでやってる訳じゃないんだ。創薬の研究に命を賭けてるんだよ。それぐらい世の役に立つ仕事だと自負している」
「相変わらず唯物的ね。役に立つ薬、金になる薬。そう言えば、あなた、昔よく言っていね。俺は生命の妙薬を創って、病気の人間を救って有名な研究者になるんだって。
　確かに、薬は多くの人の病気を治してくれるわ。したけど、どんなに医薬が進歩したとしても、最も大切にしなくてはいけないのは、結局人間の心じゃないのかしら。
　私にとっては、今、何よりも大切なのは子供なの。
　どんな素晴らしい薬よりも、子供と元気で一緒に暮らせることが、私にとっては薬なの。子供のいないあなたにこんな事をいっても理解してくれないかも知れないけど」
　和子の目に涙が溜まっていた。

「家族を大事に思う気持ちは分かるよ。ただ、由美子ちゃんは、俺の子供かもしれないんだ。だから、僕にもＤＮＡを調査する権利がある」
「それを言うのはもう止めて。あなたからの手紙を見たせいで、夫も疑心暗鬼になっているし…お願いだから、これ以上、私を苦しめないで」
「僕は和子を苦しめるつもりはない。僕は真実を知りたいだけなんだ」
「真実を知る事がそんなに大事なの？幸せな家庭が壊れるとしても、真実はあなたにとってそれ程大事なことなの？お願いだから、私たちには関わらないで、２度と連絡もしないで。
　真之も、あの人と結婚して家庭を作りなさいよ。そうしたら、私の言っている事が理解できると思うわ。感じの良さそうな娘じゃない。大事にしてあげて」
　和子は、そう言い残して喫茶店を出て行った。
　真之は、和子の剣幕に圧倒されて彼女の後ろ姿を呆然と眺めるだけだった。

　第２５章　終了

　　

　　　　　　　　　　
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