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第１９章 クレンジングクリーム
週末になると妻の和子は、また出かけて行った。
テレビに出演している有名なガーデニングデザイナーの講演会があるという事で、中の島公園のパークホテルに出かけていった。
庭が綺麗な花で飾られるのは嬉しいのだが、最近は、家の壁や塀、はたまたベランダにまで鉢花を掛けている。
自分の家が、どんどん花に占領されていくような錯覚すら覚えるほどだ。
熱中するのはいいのだが、何事にも節度を持って欲しいものだ。
文忠の仕事は、新規製品の立ち上げが前倒しになった事もあって繁忙を極めていた。
文忠が統括する部署では、韓国の半導体メーカーに納める装置のソフトウェアを開発していた。
今や世界的企業に成長したサムソン電工だ。
そこで、次世代の半導体工場を拡張する事になり、大口の注文が来た。
ソフトウェアは、納める装置の仕様ごとに、微妙に調整しなければいけない。
バグ出しの試験もしっかりやらなければ不良品を出してしまうことになる。
手の抜けない仕事だった。
その納期が迫っていたので、責任者の文忠は最後の追い込み作業で忙しかった。
週末ぐらいは朝寝坊をして、のんびり過ごしたかったがそうも行かなかった。
この所、平日は残業で遅くなっていたので、子供たちと、あまり顔を合わせていなかった。
和子に言わせれば、週末ぐらい面倒見ないと、顔を忘れられしまうわよと言う事だった。
妻の言う事も一理あるとは思うが、元気が有り余っている子供のパワーには圧倒されてしまう。
文忠は、子供たちと一緒に、マウンテンバイクに跨って、農試公園にサイクリングに向かった。
近場に、無料で安全に遊べる大きな公園がある事は、親にとっては、とてもありがたい。
農試公園では、何時ものようにサイクルサーキットで、マウンテンバイクの競走をした。
文忠は、腹が出てきた事もあって、子供たちのスピードに付いていけなかった。
最近は、ビリが定位置となっている。
それでも子供たちを後ろから見守りながら、メタボリックな体に鞭打ってペダルを漕いだ。
マウンテンバイクで汗をかいてから、自販機でスポーツドリンクを買った。
ポプラ並木の木陰にあるベンチに腰を下ろして、一服した。やはり運動した後の飲み物は美味しい。
体に沁み渡っていく。
休憩後、トンカチ広場に行った。
無料で工作キットを借りて、工作が出来た。
文忠は、子供たちと一緒に、木板で小さな箱を作った。
午前中、公園で遊んだ後は、近くの定食屋へ行って、昼飯を食べた。
肉チャーハンの大盛りを食べた。
昼食後に帰宅すると、息子の幸明は、休む間もなく友達の家に遊びに行った。
娘の由美子は、算数の宿題をした。
分からない所を文忠に聞きながら、手早く終わらせて、由美子も近所の友達の家へ遊びに行った。
ようやく１人の時間を得た文忠は、椅子に座ってゆっくりと新聞を読んだ。
地元紙の北海道新聞の経済欄には、札幌の大学と三ツ橋製薬会社との特許訴訟の特集記事が載っていた。
記事によると、新薬はモルヒネに変わる鎮痛剤となる可能性があり、今後の研究次第に寄っては、莫大な特許料収入が期待できるという事だった。
地元紙だけに、札幌の大学よりの論調だったが、今の所、三ツ橋製薬の方が有利なようだ。
新聞に一通り目を通してから、テレビで、コンサドーレ札幌のサッカーの試合を観戦した。
Ｊ１に昇格した頃は、地元札幌では爆発的な人気を博していたが、最近はJ１とJ２を行ったり来たりして、人気も低調気味だ。
数年前に、プロ野球のファイターズが札幌に移って来てからは、更に客足を奪われている。
サッカー派の文忠としては、何とか頑張ってＪ１で上位に食い込んで欲しいのだが、如何せん、チームの財政状況や選手を見ると、厳しい気がする。
今日の試合も、前半で０対１で負けていた。
文忠は、ソファに横になって観戦した。
前半終了までは見ていたが、いつの間にか昼寝をしていた。
目が覚めると、試合は既に終わっていて、他の番組が始まっていた。
文忠は、台所に行って一杯、水を飲んだ。
飲み干したコップを台所に置くと、廊下の向こうから何か物音がした気がした。
若しかして、泥棒でも入ったかと文忠は身を固くした。
それから、足音を忍ばせて廊下に出た。
そろりそろりと歩を進めて、音のしている方向に耳を澄ますと、寝室の方から聞こえてきているようだった。
警戒しつつ、ドアの隙間から中を窺うと、由美子が化粧台に座っていた。
文忠は、ドアの前で、わざとらしく咳払いをした。
その音に反応して、由美子が目を見開いて振り向いた。
急に振り向いた拍子に、唇に塗っていたルージュが逸れて、片頬に赤い線を描いていた。
「友達の所に遊びに行ったんじゃなかったのかい？」
「友達が急に用事が出来てしまったんだ。それで、仕方なく家に帰ってきたら、パパは鼾かいて寝てたもんだから…」
「それで、ママの化粧品を使って、おめかしをしてたって訳かい」
「ごめんなさい」
「由美子は、化粧するにはまだ１０年早いよ。それに、化粧なんかしなくても由美子は、十分に可愛いよ」
文忠は、由美子の頭を優しく撫でた。
「ほら、赤い口紅が頬っぺたに伸びて、口裂け女みたいになってるぞ。早くクレンジングクリームで落としてきなさい」
「はーい」
由美子は、化粧台の引出しを幾つか開けて、クレンジングクリームを探した。
そして、それを見つけると、手にして寝室を出て行った。
文忠は引出しを閉めようとして目をやると、奥の方に、一通の封筒が入っていた。
妙に気になって、封筒を手にした。
和子宛の手紙だった。
差出人は菅山有紀と書かれていた。
和子は、手紙や年賀状は、別の棚に、収納しているはずだ…
友人から手紙が、何故、こんな所においてあるのだろうか…
それに、書かれた字が角張っていて、男の字のようにも思える。
その手紙が妙に気になった。
夫婦といえども、勝手に人の手紙を見てはいけない。
だが、その衝動を抑える事が出来なかった。
封筒の中から手紙を取り出して読んだ。
第１９章 終了
→ 第２０章 ： 由美子の不安
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