朝比奈颯季　ネット小説　神成探偵社の事件簿1～支笏湖に消ゆ～　第１０章　疑念

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支笏湖に消ゆ　；　神成探偵社の事件簿１

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神成探偵社の
事件簿１
-支笏湖に消ゆ-

第１０章：
疑念

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　第１０章　疑念

　昨日までは蝦夷梅雨がシトシトと降り続いていたが、今日は見事に快晴だった。文忠は二人の子供を連れて近所にある農試公園に出かけることにした。妻の和子は、最近ブームになっているガーデニングにはまっていたので奥さん仲間と百合の育成講習会を受けに百合が原公園に出かけた。
　文忠は二人の子供と一緒にマウンテンバイクで農試公園に向かった。農試公園はかつて北海道農事試験場があった場所に造成された公園で札幌市民の憩いの場となっている。公園にはポプラ並木があった。
　ポプラ並木と言えば北海道大学が有名だが近年の台風で多くが薙ぎ倒されてしまい、昔の整然とした美しいポプラ並木の姿はもうない。北大の卒業生である文忠にとっては母校のシンボルであるポプラ並木が倒壊してしまったのは心苦しいことだったが農試公園にくればポプラ並木の姿が眺められた。爽やかな六月の青空を背にして、初夏の和風に葉裏をサワサワと翻していた。
　園内には、桜の木もたくさんあった。札幌の桜の時期は、５月上旬から中旬に掛けてだ。ここで花見を楽しんだのは数週間前だった。今は、主役の座をライラックに譲って、濃い緑の葉を戦がせていた。
　公園内は、休日ということで、多くの家族連れで賑わっていた。先ず、子供たちと一緒に、サイクルサーキットに行った。そこは、マウンテンバイク専用のコースで、上り下りのある土道だった。幼稚園の頃から、マウンテンバイクの練習をしていた小学２年の幸明は、大人顔負けのハンドル捌きで姉の由美子と張り合って、ペダルを漕いでいた。
　マウンテンバイクが終わった後は、自転車を置いて、遊具や砂場で遊んだ。午前中いっぱい遊んでから、琴似駅近くにあるラーメン屋に行き、味噌チャーシューメンと餃子を食べた。昼食後、のんびりと自転車に乗って自宅に戻った。

　自宅のある発寒地区には、昔から工業団地が多く、清掃や鉄工、木材や印刷所などの工場が立ち並んでいた。その周辺を埋めるように住宅が立ち並んでいるのだが、最近、ラブホテルが散見されるようになってきた。文忠も役員になっている自治会の最近の話題はラブホテルだった。ラブホテルが増えたせいで、夜な夜な、街灯が少ない路地を、猛スピードで走る車が多くなり、危なっかしくて仕方がない。また、子供の教育上も良くない。自治会では、地元の市議を通じて、その件を札幌市に陳情する予定だった。

　帰宅したが、和子はまだ戻っていなかった。百合の育成講習が終わった後は、奥さん同士で、グランドホテルのスイーツ食べ放題に行ってくるので、帰りは夕方近くになるという事だった。
　文忠は、和子に頼まれていた通りに子供たちに宿題をさせた。だが、久々にマウンテンバイクで運動して、満腹になった事でいつの間にか眠りこけていた。目が覚めると、子供たちは宿題を終えて、何処かで遊んでいるようだった。文忠は、両手を伸ばして、大きなあくびをした。
　立ち上がって、子供を探さがすと、由美子が夫婦の寝室に入りこんで、化粧台の前でガサゴソと化粧品を弄っているようだった。その光景をドアの隙間から覗き見て、これが数日前に和子が話していたことだなと思った。去年の学芸会でヒロイン役を演じた時に、母の和子に化粧してもらって以来、すっかり化粧に興味を持ってしまった。母親の留守を狙って、こっそりと母の化粧道具を使って、鏡の前で化粧をしているらしいと和子が話をしていたのだ。
　ドアの隙間から、化粧鏡に映る娘の姿を見た。ルージュを唇に塗る仕草などは、不思議なぐらいに母の和子にそっくりだ。自分の娘ながら、美しい少女に育ってくれたと改めて感心した。親馬鹿の贔屓目が入っているとは思うが、由美子は美少女だった。親戚や友人が、由美子を見ると、いつも決まって、お母さん似でめんこいなと言う。ただ自分はハンサムではない。鼻も高くないし、目も垂れ目がちで野暮ったい。心無い友人は、お父さんに似なくて良かったな、などと言う始末だ。

　和子は、文忠の職場の後輩だった。可愛い上に仕事もテキパキとこなす有能な女性だったので、社内でも人気があった。社内の飲み会などで親しくしていて何かと相談に乗っていたが、恋仲にはなかなか発展しなかった。彼女には、学生の頃から付き合っている彼氏がいたからだ。和子から相談を受けていたので間違いないが、名前など詳しい事は教えてくれなかった。
　何年か、親しい先輩と後輩という関係が続いた。しかし、彼氏と別れたという話を聞いて、和子を慰めながらも、心の中ではほくそ笑んでいた。和子の相談に乗って、彼氏が研究に没頭してあまりかまってくれないという愚痴を幾度と聞かされていたので、まだ脈はあるかも知れないと、ハイエナのように虎視眈々と狙っていた。和子が別れたと耳にするや否や、直ぐに行動した。抑えていた想いを告白した。和子もその想いを受け止めてくれて、二人は、直ぐに大人の関係になった。
　付き合い始めて一ヶ月ぐらいで、妊娠したかも知れないと和子に言われた。文忠は、戸惑うと同時に嬉しかった。付き合い始めて数ヶ月と短かったが、同じ職場で何年も一緒にいたので、彼女の人となりは十二分に分かっていた。妊娠の話を聞いて、迷わずに結婚を申し込んだ。和子もプロポーズを受け入れた。そして、生まれたのが由美子だった。
　しかし、由美子が生まれてから一つの疑念が浮かんだ。予定日よりも一ヶ月近く早く生まれたからだ。一般的に胎児は、母の腹の中で１０月１０日を過ごしてから生まれてくる。由美子が９ヶ月目で生まれたので、一ヶ月の早産だった。しかし、体重は3000gぐらいで、早産のわりに大きかった。周囲の人間は、体のデカさだけは父親に似で良かったねと笑っていたが、文忠の心境は複雑だった。胎児の成長も百人十色で、4000gぐらいで生まれてくる赤ちゃんもいるのだから、九ヶ月目に3000gで生まれてきても、おかしくはないのかも知れない。しかし、釈然としないものが、心の襞に引っかかった。まさか、自分と関係を結んだ時には既に…その疑念が湧くたびに、そんな馬鹿な…と疑念を打ち消した。
　和子と初めて結ばれたあの夜、避妊具を付けなかったのは確かだ。心の何処かで、妊娠しても良いと言う気持ちがあった。若しかしたら和子は、敢えて避妊具を付けなかったのかも知れない。既成事実を作って置いて、数ヶ月後に、妊娠した事を告げるために…そんな事は考えたくもなかったが、彼女を信じようとすればするほど、疑念がチクリと心を刺すのだった。
　問い糾す事は出来なかった。もし抱いた疑念が真実だと思うと、恐ろしくて聞く事は出来なかった。
　文忠は、由美子に対して溢れんばかりの愛情を注いできた。目に入れても痛くない自慢の娘だ。妻以上に愛しい存在といっても過言ではない。　

　文忠は、由美子の化粧があまり濃くならない内に寝室に入った。由美子は、眠り扱けていると思っていた父が、急に現れたので、びっくりした。
「何だ、パパ。若しかして見てたの？」
「ああ、さっきからドアの隙間から見てたよ」
「ごめん、ママには内緒にしてね。前に一回見つかって、もうしないって約束したんだ」
「由美子、約束を破るのは良くないな。でも、今日の事はママには内緒にしておくから、早く洗面所に行って、クレンジングで化粧を落として来なさい」
「はーい」と、由美子は、唇にルージュを厚ぼったく塗った顔で洗面所に向かった。

第１０章　終了

 　　

　　　　　　　　　　
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