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第１４章 百合が原公園での再会
百合が原公園の温室センターや、アトラクション列車など一部の施設は有料だったが、その他は、無料で開放されていた。
休日ということで、子供連れでの家族がが多かった。
あと数年で真之も四十路だ。
傍から見れば、子供がいてもおかしくない年齢だ。
いや、真之の親の小言を拝借すれば、「子供がいないとおかしい年齢だ」
何がおかしいのか真之には理解できないが、適当に聞き流している。
芝生広場にシートをひき、芳恵が作ってきた弁当を食べた。
弁当箱を開けると、桜デンブが敷き詰められたいた。
真之はおかずを突っつきながら、芝生で走り回ったり、サッカーをしたりする子供たちを眺めながら、考え事をした。
もし自分が渡米する前に、和子の妊娠を知っていたら、自分はどうしただろう？
渡米を諦めて子供のために札幌に残り、目の前にある光景のように、親子で一緒にほのぼのと遊んでいただろうか？
いやそれはないな。
恐らく、和子と子供を日本において一人で渡米していただろう。
あの頃の自分は、野心に満ちていた。
形式的に婚姻届は出して、一人で渡米していただろう。自分はそういう人間だ。
和子もその事は見抜いていただろう。だからこそ、妊娠の事は言わず、プロポーズも拒否したのだ。
別れ際に、和子から言われた言葉は未だに頭にこびり付いていた。
「あなたと一緒に行ったとしても、私は寂しいだけ。だって、あなたの本当の恋人は研究だから…私は足手まといになるだけでしょ」
和子は、そう言って、一筋の涙を流した。
真之は反論できなかった。
彼女の言う通りだった。
和子を愛してはいたが、渡米したら、日本にいた時以上に研究に没頭するつもりだった。
真之は、和子のその言葉を聞き、渡米前に別れる事に同意した。
しかし、状況は変わった。
和子の娘の本当の父親が、自分なら話は別だ。
和子と、直接、会って話さなければならない。
真之は今、由美子の存在が、気になって仕方が無かった。
清田家の自宅前で由美子の姿を見てから、その想いは、さらに強くなった。
もし自分が彼女の父親ならば、何かしてあげたいと思った。
由美子がこの世に生を受けてから、自分は父親らしい事を何もしていない。
自分が本当の父親である事を知ってもらう必要はないし、親権が欲しいなどと言えた義理でもない。
影ながらでも由美子を支えてあげたかった。
父親として、何かをしてあげたい。
その事を和子に伝えたかった。
「真之さん、何、考えてるの？」
芳恵が、心配そうな顔で言った。
「いや、何でもないんだ」
「嘘ばっかり。最近、何か変よ」
「すまないな。ちょっと、この所、特許訴訟の事で頭が痛いんだ」
「あんまり根を詰め過ぎると体に悪いよ」
「ありがとう。所で、その後、三ツ橋准教授の身辺で何か分かった事はあったかい？」
「うん、あったわ。葉山美絵って女は、かなりのアバズレみたいね。三ツ橋准教授の研究室に出入りしている竹上という男とも関係があるみたい」
「という事は、三ツ橋と竹上の二人に、二股を掛けているという事か？」
「そうなんさ。車でいちゃついてるのを見たのさ。その後は、モーテルに消えて行ったわ」
「尾行したのか？」
「尾行も、なかなかスリリングなもんね」
「頑張って探ってくれるのはありがたいけど、あんまり無茶はするなよ。相手は犯罪者だからな」
「何も、大丈夫さ。尾行なんて、そんなに危険でもないっしょ」
芳恵は、臆面もなく笑っていた。
真之は、葉山美絵の二股の話を聞いて、以前、彼女が試薬の営業で、研究室に来た時の出来事を思い出した。
美絵は、真之に再三、接待をしたいという話を持ちかけてきた。
真之は仕入れ先を変える気もなかったので、拒んでいたが、どうしても接待させてくれと言うので、一度だけ接待を受ける事にした。
ススキノの有名な料亭に連れて行かれ、ご馳走攻撃を仕掛けられた。
その後、高級バーに連れて行かれた。
可愛いホステスが付くのかなと、気楽に考えていたが予想が外れた。
ジャズバンドが生演奏を聴かせてくれる洒落たバーだった。
カウンターに並んで座った美絵は、スーツを脱いで肩や胸元の開いたシャツ１枚でカクテルを飲んだ。
真之も、オリジナルカクテルなる物を勧められるがままに飲んだが、何だかいつも以上に酔いが早い気がした。アルコールの酔いが、早く回るような成分が入っているように感じた。
しばらくすると、異常な高揚感に襲われ、周囲の光景が何時も以上に鮮やかに見えた。
美絵が途轍もなく妖艶な女に見えた。
美絵は真之にしな垂れかかってきた。
婉然(えんぜん)と微笑む彼女から、薔薇のような香りが漂ってきた。
危険な匂いだった。このままでは、自分を制御できなくなると感じ、適当な言い訳を言って店を出た。
若しあのまま、バーにいたら、彼女と肉体関係を結んでいただろう。
その後も、何度か接待に誘われたが、真之は断固として拒み続けた。
その後、数ヶ月もすると、営業の担当が代わり、研究室には顔を見せなくなった。
この話は、恋人の芳恵には、流石に話せなかった。
弁当を食べ終え、園内を二人で散歩した。
芳恵のリクエストで、煉瓦造りのサイロの展望台に登った。
畜産農家が使っていたサイロを移築して、展望台に改造したものだった。
サイロ展望台から園内を眺めると、新緑の眩しいエルムなどの広葉樹が疎(まば)らに生えていた。
また、様々な色の花が咲いていた。
観覧列車のリリートレーンが走っていた。
それを見た芳恵が乗りたいと言い出した。
リリートレイン、訳して、百合列車。
ここが百合が原だからリリートレイン。
何のボケも落ちもない名前だ。
もしここが、青木ヶ原だったら、ブルートレイン。
関ヶ原だったら、ゲートトレイン。
桔梗ヶ原だったら、グレープトレイン。
くだらない喩えはこれぐらいにして、話を本筋に戻そう。
真之は、子供染みていて気乗りしなかったが、一緒に乗る事にした。
車窓は、初夏の花で飾られていた。
芍薬はピンクのグラデーションを織りなし、八重の花びらは、和風なカーネーションのようだった。
ルピナスは、パールやブルー、ピンクやホワイトといったパステルカラーの花を咲かせていた。
和名を、昇り藤といのだが、なるほどよく見るとまるで藤花を逆さまにしたような形をしていた。
ルピナスを眺めていて、米国にいた時に、薬草の採取を兼ねてレーニヤ山に登った時の情景を思い出した。
山麓には、草原一面を覆うようにして、野生のルピナスが咲き群れていた。
山風に揺れるルピナスの彼方に、残雪を抱いたレーニヤ山が聳えていた。
息を飲む壮大な風景だった。
頭に焼きついたあの景色は、死ぬまで忘れないだろう。
ちなみに、レーニヤ山というのは、米国西海岸にある名峰で、標高は約4400mで富士山よりも高い。
真之が留学していたシアトルの大学からも望む事が出来た。
シアトルは日系人が多い街なので、彼らの間ではタコマ富士という名で親しまれている。
最近、コンビ二などで、プラスティックカップにストローを突き刺して飲むタイプのコーヒー飲料をよく目にするが、その中にMt.Rainerというコーヒーがある。
その容器に描かれている絵が、レーニヤ山だ。
レーニヤ山麓は花の宝庫としても有名で、多種の薬草の自生地でもある。
シアトルに行ったなら、是非行ってみたいと思っていた山だった。
登山の時は、アラスカ出身の学生と一緒だった。
真之がルピナスの壮大な景色を賞賛すると、彼は、アラスカにあるルピナスの群生地の方がもっと素晴らしいと自慢した。
米国人も日本人同様に、お国自慢をしないではいられない習性らしい。
ルピナスは、札幌でも良く見かける。
街の花壇や庭先で元気に花を咲かせて、道行く人の目を楽しませてくれている。
また、土手などにも野生化している。涼しい札幌の気候に合うのだろう。
リリートレインは、のんびりと走り、10分ほどで一周して乗り場に戻ってきた。
列車を下りてから、百合が原公園の名前の由来にもなっている百合広場へと向かった。
残念ながら、時期外れで、僅かの種類の百合しか咲いていなかった。
百合の最盛期は７月ということで、満開だったのは「透かし百合」ぐらいで、「乙女百合」がぽつらぽつらと咲いていた。
百合はあまり咲いていなかったが、藤棚は満開で、淡紫の藤花が垂れ下がっていた。
遠目に見ると、葡萄が実っているようにも見えた。
札幌では６月近くになって、藤の花が咲き始める。
百合に肩透かしを食らった来場者も、藤の美しさ引かれて、藤棚の下に集まっていた。
藤棚の前に行くと、四、五人の女性たちが藤棚を眺めながら、お喋りをしていた。
井戸端会議なら他でやってくれよと思いながら彼女たちを見た。
一人の女性と目が合った。
真之は目を疑った。
１０年の歳月が流れ、顔は少しだけ老けていたが、目の前に立っていたのは和子だった。
真之は突然の再会に唖然とした。
和子も真之だと気付いて、驚きに満ちた表情をしていた。
「あら、真之。久しぶりね」
先に口を開いたのは和子だった。
「久しぶりだな。こんな所で会うなんて、驚いたよ」
真之は声が上擦った。
「全く奇遇ね。札幌に戻っていたのね。知らなかったわ」
「あぁ、数年前に戻って来たんだ。今は教授として働く傍ら、創薬ベンチャーの社長もやっているんだ」
「相変わらず仕事熱心ね」
和子は皮肉染みた笑いを見せた。
「あぁ、俺は相変わらずさ」
真之は自嘲した。
「でも、可愛い奥さんを貰ったみたいね」
和子が、隣に寄り添っている芳恵を見て愛想笑いをした。
「いや、結婚してる訳じゃないんだ」
真之は少しムキになって手を振った。
その言葉を聞いて、芳恵の眉間に陰がさしたのに真之は気がつかなかった。
「ふーん、そうなの」
和子と芳恵の目が合った。
芳恵の瞳には、敵意の光が篭もっていた。
「デートの邪魔しちゃ悪いから。したらね。あんまり仕事ばっかりして彼女に見捨てられないようにね、西嶋さん」
和子は、主婦仲間たちと談笑しながら歩き去ろうとした。
真之は、和子の背中に向かって言った。
「待ってくれ、和子。話があるんだ」
「おあいにく様、悪いけど、私の方には、話す事は何もないわ」
和子は、振り向きもせずに歩き去った。
第１4章 終了
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