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第８章 ３点シュートと尾崎豊
プレイグラウンドには、慎一郎と洋子が既に到着していた。二人は準備運動をしながら談笑していた。
達子森(たっこもり)からは、カッコーののどかな鳴き声が聞こえてきた。文字通り閑古鳥が鳴いている状態で、プレイグランドには岳実たち以外には誰もいなかった。
ランニングして軽く汗をかき、ストレッチで体をほぐしてからシュート練習に取り掛かった。岳実は洋子を意識しながら３点シュートを打った。居残り練習の成果か？まぐれか？３本連続で決まった。
洋子がドリブルをしながら岳実に近付いてきた。
「倉内くん、なかなか、やるね」 と言って、人懐っこい笑顔を見せた。
「このぐらいは、朝飯前だ」と、強がってみせた。
洋子は、ボールにバックスピンを掛けてトスアップした。地面で跳ね返ったボールが正確に彼女の手元に戻ってきた。ボールを胸元にセットし、３点シュートを放った。ボールはねずみ色の空に放物線を描き、吸い込まれるようにリングに入った。
地面に落ちたボールは魔法にでも掛かったように転がって、洋子の元に戻ってきた。ボールを拾い、挑発的な笑みを岳実に見せてから、３ポイントラインから更に一歩遠い場所からシュートを打って、決めた。
「このぐらいは、朝飯前だ」
洋子は、岳実の台詞を真似し、ウインクした。
可愛い顔して可愛いくない女だ。負けてなるものかと、一歩遠い場所からシュートを放ったが、ボールはリングに当たって大きく跳ねた。
ボールが、コートサイドでストレッチをしている芹奈の所に転がっていった。
芹奈がボールを返しながら言った。
「ヨッコのシュートレンジは広いがら、無理して張り合えばシュートフォームを崩すよ。どうせ、敵わねぇんだがら…張り合うのは止めれば」
そう言わると、余計に対抗心が湧いた。ここで引いては男が廃(すた)るというものだ。
負けじとロングシュートを打った。しかし、打てども打てども入らなかった。結局、１０本打って１本も入らなかった。
そんな岳実を嘲笑うかように、洋子は50％以上の確率で、シュートを決めた。更に、３ポイントラインから２歩下がった位置で、挑発的な視線を岳実に向けた。
「幾らなんでも、そこからは無理だべ」
洋子は、鋭い視線でリングを見定めてから、シュートを放った。
シュートは、大きな弧を描いて決まった。
「いやぁー魂消(たまげ)たな。敵わねぇよ」と、脱帽した。
悔しいが少し特訓したからと言って敵う相手ではなかった。
シュート練習後、２対２の練習を始めた。
初日と同様に、【 岳実と洋子 】 VS 【 慎一郎と芹奈 】 のチームで対戦した。
慎一郎は、芹奈から教わったターンやステップを積極的にやっていた。また、アドバイスを取り入れて特訓していたバンクシュートが上達していた。ちなみに、バンクシュートというのはバックボードに当てるシュートのことだ。
芹奈も積極的に攻めてきた。彼女は、ディフェンスをあざ笑うかのようにジャンプシュートを何本も決めた。芹奈のシュートが外れても、慎一郎がリバウンドを取ってねじ込んだ。
岳実は、３点シュートを積極的に打ったが…殆ど外れた。しかし、それを補うように、洋子がシュートを決めた。
時間を忘れて練習していると、気が付くと正午の鐘が鳴った。
「あれっ、もう十二時か」
芹奈が言った。
「早ぇな、もう昼飯時か」
岳実は呟いた。
「せば、今日はここまでにしよっか？」
芹奈が皆に聞いた。
「最後にジュース賭けてフリースロー勝負するべし」
洋子が皆を見渡した。
「それ、良いね」
芹奈が真っ先に賛成した。
「フリースローは、ちょっとなぁ」
慎一郎が首を傾げた。
「自信がねぇんだば、無理にとは言わねぇよ」
洋子が、挑発的な口調で言った。
「分かったよ。フリースローで勝負するよ。ただし、一本勝負でやるべし」
「えっ、一本だけ？」
岳実は、予想外の少なさに戸惑った。普通、フリースロー勝負と言えば３～５本ぐらいが相場だ。
「せば、一本勝負でも良いよ」
洋子は臆することなく快諾した。
本数が多くなるほど、シュートの実力がより正確に反映される。だが、１本勝負なら高校生でもＮＢＡ選手に勝つ可能性はある。
岳実は乗り気ではなかったが、怖気づいたと思われたくなかったので賛成した。
順番はジャンケンで決めることになった。最もプレッシャーが掛かる４番手は避けたかった。
１回目のジャンケンで、慎一郎がパーで勝った。
「男なら黙ってグーだべ」と、慎一郎に愚痴を言ったが、
「負け惜しみは聞きたぐねぇな」
と慎一郎は言って笑った。
２回目も、岳実はグーで勝負に出たが、芹奈のパーに負けた。
最後は、岳実と洋子のタイマンになった。大きく深呼吸してから、３度目の正直とグーで勝負した。洋子はチョキだった。何とか最悪の４番手は避けることができた。
慎一郎がフリースローラインに立って、何の気負いもなくシュートを放った。ボールはリングに打つかって外れたと思ったが、バックボードに当たって入った。
芹奈はフリースローレーンで両肩を上下させて力みを抜き、２、３回ドリブルをしてからシュートを放った。
「あっ、やばい。短い」
芹奈が渋面を見せた瞬間、汗をさらうような風が吹き、シュートが決まった。
「何だよ、短いんじゃねがったのがよ」
岳実は嫌味ったらしく言った。
「ちゃんと風も計算に入れて打ったんだ」
と芹奈は言ったが、「幸運の風のお陰だ」と顔に書いてあった。
岳実はフリースローレーンに立った。心臓がドキドキした。
洋子はシュート力があるので外さないだろう。もし自分が外せば負けが濃厚だ。絶対に決めなければ…岳実はリングを見つめた。
「10秒、10秒。長いよタゲ」
芹奈がタイムオーバーの言い掛かりつけた。
無視して、軽く深呼吸をしてからフリースローを打った。
コースはバッチリだった。打った瞬間、入ったと思ったが、リングの根元に当たり外れた。頭を抱えながら、言い訳を言った。
「コースはバッチリだったばって、風にやられだなぁ」
「あれっ、風なんて吹いたっけ？」
洋子が耳元で囁いてから、続けて言った。
「さてと、さっさと決めて、ジュースをご馳走になるがな」
洋子は、フリースローラインで膝の屈伸をしてから、ボールをへその辺りで持ち、うつむきながら呪文のような言葉をモゴモゴと呟いた。それから、きりっとした視線でリングを見てシュートを打った。
ボールは無常なほどあっさり決まった。
洋子は会心の笑みで、芹奈と慎一郎とハイタッチを交わした。
自販機に百円玉を入れてボタンを押して、一人ひとりにジュースを手渡した。
「せば、フリースローの勝利に乾杯！」
みんな、ゴクゴクと喉を鳴らした。
勝負に負けて悔しくもあったが、汗を流した後の冷たい飲み物は格別だった。
「実は弁当作って来たんだ。良かったら、公園で一緒に食べるべし」
芹奈が言った。
「芹奈ちゃんの弁当食えるなんてワッタリ嬉しいよ」
慎一郎は、玩具を貰った子供のような笑顔を見せた。
「せば、我も遠慮なく、頂きます」
岳実も便乗した。
「ありがとう。ご馳走になるよ」
洋子がペコリとお辞儀をした。
「せば、着替えだ後に樅の木の下のベンチさ集合ってことで…」
そう言って、芹奈と洋子はバックを持って更衣室に向かった。
更衣室は、蒸し風呂のように茹だっていた。
バスケットパンツとパワータイツを脱いでから、股間や尻をタオルで拭いた。それから、タオルを団扇のように振って股間に風を送った。蒸れ蒸れの股間が冷やされて気持ちよかった。
着替えを終えて、樅の木の下のベンチに戻った。
「芹奈がだは、まだ来てねぇな」
岳実は言った。
「女子は、色々と時間掛かるんだべ。音楽でも聴いてゆっくり待ってるべ」
慎一郎は、イヤホンを耳に付けた。
「何、聴くの？」
「尾崎だよ」
「また尾崎かい。慎ちゃんは本気で尾崎バカだな」
慎一郎は足でリズムを取りながら歌を口ずさんだ。彼は尾崎豊の大ファンで、学校でも暇さえあればイヤホンを耳にたらして尾崎を聴いていた。
岳実は、ビートルズを筆頭に洋楽しか聴かなかったので、日本の音楽にはうとかった。
同級生の多くは、アイドルやロックバンドに夢中でCDなどを購入していたが、CDを買ったことがなかった。聴きたいと思ったら、父から借りれば事が足りた。それに、ビートルズを子守唄代わりに育ったので、日本のチャラチャラした音楽は、幼稚に聴こえた。
隣に座る慎一郎の歌声が、徐々に大きくなってきた。彼は、完全に尾崎になりきっていた歌っていた。
「慎ちゃん、今の歌は何？」
「愛の消えた街だ」
と呟いて、また歌いながら自分の世界に入っていった。
慎一郎は、小声で歌っているつもりなのだろうが、通り過ぎて行く人が振り向くほどの声量だった。
尾崎を歌う彼の表情は情熱的だった。物静かな慎一郎の心中にある、魂の熱い叫びを見た気がした。
ベンチに寄りかかりながら、頭の後ろで手を組んで空を仰ぎ見た。
畝雲(うねぐも)の隙間に青空が覗いていた。午前中、空を灰色に染めていた雲が薄くなり、白味を帯びていた。深呼吸をしてから、近くの樅の緑陰から聞こえてくる小鳥の声に耳を傾けながら瞼を閉じた。
額をトントンと叩かれた。
瞼を開けると、芹奈の顔が逆さまに見えた。
慎一郎も、芹奈が戻ってきた事に気付いていなかった。彼は目を閉じて、眉間に皺を寄せながら、「僕が僕であるために」を口ずさんでいた。
慎一郎の表情をみて、芹奈と洋子は口に手を当てて笑った。
芹奈が慎一郎の肩を叩くと、彼はびくっとして目を開けた。それから、恥ずかしそうにイヤホンを外した。
「何だ、戻ってだの？」
「尾崎を聴いてだの？」
洋子が茶化して言った。
「なして尾崎聴いでだって分かったの？イヤホンから音漏れしてだ？」
「喉自慢の練習をしてる人がいれば、誰だって分かるよ」
洋子が笑った。
「あれ？そんたに声出でだ？」
慎一郎は、気まずそうに頭を掻いた。
「上手だったよ。ヨッコも尾崎が好きだがら、ずっと歌ってで欲しいと思ったぐらだよ」
洋子の言葉に、慎一郎は苦笑して頭を掻いた。
第８章 終了
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