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第５２章 苔の洞門の暗号
苔の洞門は、支笏湖の南岸にある風不死岳(ふっぷしだけ)と樽前山(たるまえさん)の麓にある苔生した涸れ渓谷だ。
沢の水が長い間かけて岩盤を削り、その後、水が涸れて洞門のような岩回廊が残り、今のような形になった。
数年前に大規模な岩盤の崩落があり、現在は立ち入り禁止になっていて、手前までしか入れない。
丸駒温泉とは、支笏湖を 挟んでちょうど反対側にある観光スポットだ。
参考地図 ： 苔の洞門
星は、苔の洞門の駐車場に車を停めた。
苔の洞門に向う道の入口には既に、警察のバリケードがひかれたいた。
星を、見つけた安西刑事が小走りで迎えに来た。
「星さん、思ったよりも早く着きましたね」
「スピード違反で捕まらないかハラハラしながら飛ばしましたよ。警察に急かされて、警察に捕まったら洒落になりませんからね」
「そりゃ、そうだ。所で星さん、苔の洞門まで少し登山道を歩かないといけませんが大丈夫ですか」
「毎日のように、獣道(けものみち)を這いつくばっていますから大丈夫ですよ」
星は、自嘲して笑った。
「獣道ですか？それは随分とワイルドですね。ヒグマが出るかもしれませんが、早速、行きましょう」
安西は、そう言うと、歩き出した。
駐車場から、２０分ほどで、現場に辿(たど)りついた。
崩落した岩が洞門の壁に挟まれていて、そこに吊るした紐で男は首を吊っていた。
洞門を涼風が吹き抜けると、死体はテルテル坊主のようにユラユラと揺れた。
「星さん、ホトケの顔を良く見てください。三ツ橋で、間違いないですか？状況が状況なだけに分かり難いかもしれませんが…」
星は、宙ぶらりんの死体の顔を、恐る恐る覗き込んだ。
鼻の右横に大きな黒子があった。
「三ツ橋准教授で間違いないと思います」
「やはりそうですか。ちなみに、これが、三ツ橋が書き残したと思われる数字です。883と書いているように見えます」
安西刑事が指差した壁には、苔を削って書かれた数字のような暗号が書かれていた。
「確かに883に見えますね」
星は、頷いた。
「私なりに推理して見たんですが、この数字は名前を示す暗号ではないでしょうか？竹上の証言では、確か葉山美絵と言う女が特許盗用の事件の首謀者ということです。つまり、88は葉山のハヤ。そして、3は美絵のミを意味している。つまり、この事件は、葉山美絵が自殺と見せかけて殺した殺人事件という事を示しています」
安西は、興奮して一気に喋った。
「むぅ…それはどうでしょうかね」
星は、首を捻った。
「あれっ、星さんなら私の推理に賛同してくれると思ったのに残念だなぁ」
「犯人を示すのであれば、そのまま名前を書くと思います。例えば、葉山美絵であれば、ハヤマとかミエとか書くでしょう。しかも、死の 間際に、名前を数字に変換するなんて複雑な事をする余裕はないと思います」
「そう言われるとそうですが…したら、星さんは、この数字は何だと思うんですか？」
「分かりません」
星は首を振った。
「何だ。反論した割には、何も推理できてないんじゃないですか」
「今の時点では分かりません。ただ、死の間際で、彼が最も伝えたかった事を暗示していると思います」
「暗示しているのは、絶対に犯人ですよ。三ツ橋は自殺したのではなく殺されたのだと思います。しかし、実はここだけの話ですが、上司が 、自殺で処理しようとしているのです。しかしながら、これは絶対に自殺にみせかけた殺人です。刑事としての勘ですが、こんな場所で首を吊るのは不自然です」
「そうですね。三ツ橋は支笏湖畔に別荘を所有しています。何もこんな山奥ではなく別荘で自殺するはずです」
「やっぱりそうですよね。星さんと話をして、自殺ではなく他殺だと確信しました。そして、あの苔に書かれた883と言う暗号は葉山美絵を、暗示している…よし。僕の推理に間違いはなかった」
安西は、自信ありげに頷いた。
「暗号が葉山を示しているかはさて置き、犯人が葉山の可能性は十分にあります。それにしても、立ち入り禁止になっているのによく遺体がこんな早く発見されましたね」
「警察が、こんな事をいうのもなんですが、入るなと言われると入りたくなるのが人間の性です。今回は、北大のワンゲル部が、苔の洞門経由で風不死岳(ふっぷしだけ)に登山しようとして、ここを通り、死体を発見したと言う訳です」
「なるほど。彼らの冒険心がなければ、三ツ橋は白骨化するまで発見されなかった可能性もあるという事ですね」
「そうです。ここは苔の洞門の観覧台からは見えませんからね」
「遺体が発見されたのは不幸中の幸いでしたね。所で、石狩湾に遺棄された由美子ちゃんの遺体は見つかりましたか？」
「まだです。石狩湾岸署も石狩湾新港を中心に、付近の砂浜も捜索していますが、石狩湾は広いですから捜索は難航しています」
「広大な砂浜をしらみつぶしに探すのはゆるくないですね。由美子ちゃんを救い出す事はできなかったけど、せめて、遺骨だけでも見つけ
てあげたいんです」
「無念だったでしょうね。彼女にも将来の夢があったろうに…。何としても発見するように、再度、お願いしておきます。見つかったら真っ先に、星さんに連絡します」
「ありがとうございます。そうしてもらえると助かります」
星は、頭を下げて感謝した。
参考地図 ： 支笏湖－札幌－石狩湾
石狩湾は、札幌中心部から北西へ15kmに位置し、西は積丹(しゃこたん)岬から東は増毛(ましけ)に至る広大な湾だ。
闇雲に捜索しても、遺体を発見するの難しい。
星は、ひき逃げ事件当日の三ツ橋の行動を推理してみた。
先ず竹上がひき逃げ事件を起こし、三ツ橋は恐喝された。
そして、別荘に竹上たちを匿(かくま)った。
そして、次の日、暴力団員らしき男たちが、竹上を自殺に見せかけて殺害しようとした。
三ツ橋が、石狩湾に死体を遺棄するとすれば、昼間の明るい時間では、人目があるから、夜暗くなってからだ。とすれば、由美子を石狩湾に遺棄したのは、事故当日の夜という事になる。
竹上の供述では、三ツ橋は一人で由美子ちゃんを遺棄したという事だった。
三ツ橋は、船舶を所有していないので、車で遺体を海岸まで運び、そこで遺棄したのだろう。
一番手っ取り早い方法は、遺体に重りをつけて、石狩湾新港の埠頭から捨てる方法だ。
しかし、石狩湾新港付近の道路は、夜になるとドリフト好きの若者のたまり場になる。
また、夜の新港は、地元カップルのドライブデート スポットになっていて、夜でも人目が多い。
夜間に人目が少ないのは砂浜だ。
街灯もなく真っ暗だ。
ただ、石狩湾は遠浅の海岸で遺体を遺棄しても、波風で浜に押し戻されてしまう。
もし砂浜に遺棄したとすれば、遺体は直ぐに発見さるだろう。
できる限り長く遺体を発見されない方法は、防風林や砂丘の砂の中に埋める事だろう。
星は、一通り推理が終わってから、安西に言った。
「刑事さん、由美子ちゃんの捜索に当たってお願いがあります」
「何でしょう？」
「石狩湾新港の湾岸に遺棄した可能性もありますが、銭函(ぜにばこ)付近から石狩湾新港に至る大浜海岸の砂浜に遺体を埋めた可能性の方が高いと思います」
「ほう、砂浜ですね…確かにその線もありますね。分かりました。道警本部には、たくさんの警察犬を導入して、大浜海岸を重点的に捜索するようにお願いしておきます」
「ありがとうございます」
星は、深々とお辞儀をした。
「こちらこそ、こちらこそ。ご協力ありがとうございました」
安西刑事は、大仏のような丸顔に笑みを浮かべて会釈した。
第５２章 終了
→ 第５３章 ： 慟哭の石狩湾 へ
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