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第５０章 支笏湖の殺人
星が、蘭越(らんこし)病院の駐車場から車を発車させようとした時、安西刑事が大手を振って走ってきた。
「どうしたんですか？」
星は、窓から顔を出した。
「支笏湖に男の遺体があがったそうです」
安西刑事は、息を切らしながら言った。
「若しかしたら三ツ橋かも知れませんね」
星は、呟いた。
「私もそう思ったんで、走って知らせに来たんです。身元が分かる遺留品は、発見されていないそうです。星さん、すいませんが、確認に言ってもらえませんか？」
「分かりました。遺体が上がったのは支笏湖のどこら辺ですか？」
「支笏湖温泉の船着場だそうです。現場の刑事には、星さんの事を連絡しておきます」
「分かりました。急いで向かいます」
「あんまり飛ばして事故らないでね」
助手席にいた芳恵が言った。
「わかってますよ。気をつけて飛ばしますよ」
星は、エンジンをフル回転させて支笏湖へ急いだ。
支笏湖温泉は、支笏湖の東岸に位置し、観光ホテルや保養所などがあり、湖畔で唯一、観光街らしい地域だ。
星は、船着場の駐車場に車を停めた。
立ち入り禁止のロープが張り巡らされた周囲には、野次馬が並んでいた。
ざわめく野次馬をかき分けて、死体を検視(けんし)している刑事に声を掛けた。
口ひげを蓄えた刑事だった。
「すいません、神成探偵社の星ですが」
「あんたが星か、連絡はもらっているよ。私は千歳署の藤野だ。神成とは警察学校で同期だったんだ。やつは元気にしてるかい？」
「えぇ、元気ですよ」
「そうか、それは何よりだ。したら先ず、ホトケの顔を確認してくれ。最初は、自殺した竹上登という男だと思ったんだが、安西(あんざい)から報告によると、竹上は今、蘭越(らんこし)の病院にいるらしいな。全く、訳が分からん
」
星は、遺体の傍らにしゃがみこみ顔を確認した。
三ツ橋ではなかった。
「この男は、竹上登を殺害しようとしていた犯人の一人です」
星は、言った。
「何だと？殺そうとした方が、殺されてしまったという事か？ますます、訳が分からん。んで、このホトケは何者なんだ？」
「素性は良く分かりませんが、雰囲気や言動から推測すると、カタギの者ではないですね」
「暴力団員ということか…それは厄介だな。組織犯罪対策課にも連絡しておくか…」
「言葉に、関西訛りがあったので恐らく関西の人間でしょう」
「関西？なぜ、そんな遠い所のヤクザがわざわざ支笏湖までやってきて竹上を殺そうとしたんだ？」
「京都に本社のある三ツ橋製薬が、暴力団に殺害を依頼したんです」
「何？三ツ橋製薬だと。名の知れた製薬会社じゃないか。訳が分からん。その会社がこの事件に関係しているというのか」
「えぇ、その通りです」
「だとすれば、この事件は途轍もなく大きな山になるな。それで、この事件と、あんたが依頼を受けているという、札幌のひき逃げ事件と関係があるのか？」
藤野刑事は、口ひげをいじりながら、星を値踏みする様な目付きで質問した。
「二つの事件は深くつながっています。ひき逃げ事件には、竹上以外にも、札幌医薬大の三ツ橋准教授と葉山美絵という女が絡んでいます。ひき逃げ事件を起こした竹上は、新薬特許の盗用をネタにして、証拠隠滅を三ツ橋に強要しました。それに対して、三ツ橋は殺し屋に殺害を依頼したのだと思います」
「そういうことか、したら先ず、マルボーに関西系の団員の照会をしてもらうか」
藤野刑事は、携帯を出して電話を掛けて、暴力団員の照会の話を始めた。
その間に、星は、こっそりと、ホトケの顔を携帯電話のカメラで撮影した。
藤野刑事の電話が終わるのを見計らって、星は尋ねた。
「遺体はどこで発見されたんですか？支笏湖は、遺体が沈んで見つからないことで有名なのに、よく発見できましたね？」
「支笏湖は典型的なカルデラ湖で、岸から急に水深が深くなる。しかし、支笏湖温泉付近だけは、遠浅になっているんだ。そこで舟釣りをしていた人が発見したんだ」
「なるほど、それでこんな朝早く発見されたんですね。釣りバカさんは、馬鹿みたいに朝が早いですからね」
星は、苦笑した。
「そういうことだ。それで、第一発見者の釣りバカさんが、針を流木にでも引っ掛けたと思って水面を覗き込むと、人のような物体が沈んでいた。そこで、驚いて通報したと言う訳だ」
「支笏湖の釣りバカは、えらい大物を釣り上げてしまったものですね」
星は、皮肉った。
「安西から聞いていると思うが、支笏湖に入水自殺をした者がいるらしいという通報を受けていて、潜水班も呼んでいたんだ。タイミングも良かったな」
「ちなみに死因は溺死ですか？」
「詳しくはまだ分からんが、遺体を見る限り溺死だろう。湖に沈んでいたんだから、普通に考えたら溺死だな」
「この男の殺害には、三ツ橋と葉山が関わっていると思います。若しかしたら体内から薬物などが見つかるかも知れないので、司法解剖に回した方が良いですね」
「まぁ疑うまでもなく溺死だとは思うが、一応、北大の法医学教室に依頼してみるよ」
「それと、一つ気になる点があるんです」
「何だ？」
「竹上を殺そうとした男は二人でしたが、若い方のヤクザは何処にいったんでしょうね？」
「尻尾巻いて逃げたのかも知れないし、若しかしたら、支笏湖の湖底深くに沈んでいるかも知れないな」
「もしそうだとすれば、彼の遺体は永遠に水の中ですね…」星は唇を噛んだ。
「さて、三ツ橋を、しょっ引く手配をすすめるか。それで、やつは今何処にいるんだ」
「分かりません。ただ彼が、遺体は湖底に沈んだままで発見されないと考えているなら、札幌の学会に出席するかも知れませんね」
「という事は、遺体が支笏湖で発見された事は、マスコミに言わない方が良いな」
「そうですね。報道は控えて、犯人を油断させておいた方が得策でしょう」
「したら早速、道警本部に連絡して、学会開場に張り込みを要請するか」
藤野刑事は、携帯電話で本部に連絡を入れた。
星と芳恵は、支笏湖温泉の湖畔にあるベンチに腰掛けた。
そこから、青々とした湖面の向こうに風不死岳(ふっぷしだけ)などの山々が見えた。
「星くんは、これからどうするの？」
「三ツ橋准教授を探し出して、由美子ちゃんの事を追及するつもりです」
「由美子ちゃんは、もう殺されて石狩湾に捨てらたんでしょう」
「だからこそ、早く見つけてあげたいんです。死んでなお、冷たい北の海を彷徨っているのかと思うと、不憫でなりません。一刻も早く見つけてあげる事が供養にもなるし、ご家族も少しは救われるでしょう。今となっては、手遅れになってしまいましたが、由美子ちゃんを早く探し出す事が僕の仕事です」
「そうね。何とか見つけてあげたいわね。私も手伝うわ」
「ありがとうございます。でも芳恵さん、仕事があるんじゃないんですか？」
「仕事なんて数日、仮病で休めばいいわ。それとも、私と一緒じゃ嫌なの？」
「とんでもない嫌じゃないですよ。やっぱり、芳恵さんって大胆ですね」
「あらそれは、若しかして、昨日の夜の事を言っているの？昨日の夜は、星くんだって大胆だったじゃない。普段は冷静なのに、あんなに激しいなんて思わなかったわ」
「芳恵さんには、敵わないな」
星は、顔を赤らめて、頭を掻いた。
「由美子ちゃんの事は、依頼人の家族にはもう話したの？」
「いや、まだです。今日、連絡しようと思ってますが、気が重いです」
星は、溜息をした。
「頑張りなさいよ、新米探偵さん。そんなんじゃ、これから探偵としてやっていけないわよ」
「そうですね。所で、由美子ちゃんの件は、西嶋教授には話をしたんですか？」
「えぇ、今朝、電話したわ」
「そうですか…、大丈夫かな」
星は、渋面を見せた。
「何かまずかったの？」
「教授は、三ツ橋によって特許を盗用された上に、自分の娘かもしれない子を殺されたんです。三ツ橋を許せないと思うのが、普通の人間の感情だと思いますよ」
「私的には、由美子ちゃんが彼の娘というのは妄想に近いと思っているけど、言われてみればその通りね」
「芳恵さんから教授に間違いを起こさないように言っておいてもらえますか」
「分かったわ、ちょっと連絡してみるわ」
芳恵は、ベンチを立って、湖畔を歩きながら携帯電話をかけた。
しかし、真之は出なかった。
芳恵は何か嫌な予感がした。
「かけたけど出なかったわ。学会の発表が始まって出られなかったのかも知れないわね」
「三ツ橋准教授の発表は何時からなんですか？」
「確か11時半ぐらいだと思ったけど…」
「あと２時間か…、ここから札幌市内までは１時間半…何とか間に会いますね。警察が三ツ橋の身柄を拘束するのが早いか、それとも教授が三ツ橋を…何れにしても札幌に戻りましょう」
「分かったわ。行きましょう」
星と芳恵が、ベンチを立ち上がった時、観光船の出発のアナウンスが聞こえた。
「間もなく、水中観光船エメラルドが出航します。お乗り方は桟橋までお急ぎ下さい」
「船の名前が、エメルラルドなんて洒落てるわね」
芳恵が、クスッと笑った。
「さっき観光船の案内をちらっと見ましたけど、サファイアという舟もあるらしいですよ」
「それじゃあの一番大きな観光船はダイヤモンドっていうのかしら？」
芳恵は冗談を言って、桟橋に停泊している観光船を指差した。
「あれは船体にも名前が書いている通り、えにわ丸と言うそうです」
「あの舟だけ随分と日本的な名前ね」
「そうですね。おそらく、あの恵庭岳(えにわだけ)から名前をもらったんだと思いますよ」
「だったら、他の船も樽前(たるまえ)丸とか、不風死(ふっぷし)丸という名前にすれば良かったのにね」
「そうですね…まぁ、それは個人の好みもあるでしょうからね…さて僕らも出発の時間です。急いで札幌に向かいましょう」
星は、愛車のインテRのエンジンを唸らせて、支笏湖の山道を抜けて、札幌に急いだ
第５０章 終了
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