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第３６章 釈放
文忠は、警察署を出て、長い溜息を漏らした。
警察は酷いもんだ、連行する時は勝手に連れていって、勾留を解くとなると勝手に帰ろと来たもんだ。
文忠は、自宅に電話を入れて、迎えに来てもらう事にした。
「真犯人を探さないといけないから、私を家に送る暇もないほど忙しいんだべや」
別れ際に、警官に思いっきり嫌味を言ってやった。
それにしても、接触事故を起こした大学生が名乗り出てくれて良かった。
彼が事故を証明してくれたくれたお陰で、ようやく警察の疑いが晴れた。
冤罪事件が後を絶たない理由が、身に沁みて分かった。
大学生の話では、接触事故を起した場所で、ある青年に事故を証明してくれるように頼まれたという事だった。
一体誰だろう？
ヨレヨレの衣服を着ていて、うだつの上がらない風貌をしていたらしい
そんな青年に知り合いはいない。
文忠が、妻の運転する車で自宅に戻ると、家の前に白いスポーツカーが駐車していた。
はて、違法駐車にしては堂々と停めている。
妻に聞いてみたが、知らないという事だった。
玄関に入ると、息子の幸明が飛んできて出迎えてくれた。
「パパ、良かった」
幸明が抱きついた。
「パパがいない間、良い子にしてたかい？」
「うん、してたよ。探偵さんが、パパを助けてくれたんだ」
「探偵さん？」
文忠は、後ろを振り向いて妻の顔を窺った。和子も何のことかわからず、首を傾げていた。
「幸明、どういうことだ？もう少しちゃんと説明してくれないか？」
文忠は、息子の両肩を掴んで尋ねた。
「すいません、おじゃましてます」
突然、見知らぬ青年が現れたので、文忠と和子は驚いた。
「僕が頼んだ探偵さんだよ」
「どうも、星と言います。お父さん、無実が証明されて良かったですね」
青年は、朗らかな笑みを浮かべた。
「若しかして、大学生を出頭させてくれたのは君か？」
「はい。接触事故があったという現場に行ってみました。そこの街路樹を調べたら、自動車とぶつかった痕跡がありましたので、張り込んで、それらしい人物が現れるのを待ちました」
「わざわざ、調べてくれたんだね」
「はい、調査の基本は現場の観察ですから。警察の方が見れば、一目で分かると思うんですが…警察は調べに来てなかったようです」
「奴らは俺の言う事には全く耳を貸さなかったよ。完全に俺を犯人と決め込んでいたからな。今回の事で、警察なんて頼りにならないって事が身に沁みて分かったよ」
「中には有能な方もいらっしゃいますよ」
「ふん、どうだかな。つい最近も、道警の裏金が騒がれてたし、組織が腐ってるんじゃないのか。あれが民間の会社なら、信用を失って即刻、倒産だよ」
文忠は怒りが収まらないようで、鼻息を荒くして文句を言った。
「接触事故の現場で、何時間か張り込みをして、あの青年を見つけることができたんです」
「いやぁ、何とお礼を言っていいか。本当に助かったよ。ありがとう。もし、君が大学生を見つけてくれていなかったら、私は無実の罪で、刑務所往きだったかもしれない」
文忠は、星の両手を取って礼を言った。
「どういたしまして」
「幸明は探偵さんって言ってましたけど、あなたは何をしているかたですか？」
「すいません、紹介が遅れました。実は私、こういう者なんです」
星は名刺を文忠に渡した。
文忠は名刺を見て気が付いた。
神成探偵社は、娘のＤＮＡ調査と妻の浮気調査を依頼した探偵社だ。
その時、話たのは、北條小太郎という白髪交じりの男性だった。
しかし、文忠の接触事故に関しては、依頼はしていない。
「何故、私を助けてくれたんですか？今回の件は、特に何も依頼していないはずですが」
文忠は、率直に疑問を投げかけた。
「幸明くんから、自分の宝物をあげるから、パパとママを助けて欲しいと依頼がありました」
「そうなんだよ、パパ。僕が、探偵さんにお願いしたんだ」
幸明は、自慢げな態度で胸を張った。
「そうですか、何とお礼を言っていいものか、ありがとうございます。お陰で、助かりました」
文忠は、深々と頭を下げた。
「何も、これぐらい当然ですよ。それより、一刻も早く、ひき逃げされた由美子ちゃんを助けないといけません。
ご存知の通り、事件の捜査権は警察が握っています。ただ、警察の捜査だけでは万全とはいえません。そこで、ご両親のお二人に確認させて欲しい事は、本件について僕が調査しても良いかどうかです」
「是非、お願いします。今回の件で、警察にはもう、うんざりです。彼らは、頭の中で勝手にストーリーを作り上げて、犯人と思い込んだ人間を締め上げる。今回、私自信が誤認逮捕されて良く分かりましたよ。警察なんかに任せても、犯人を逃がしてしまうだけだ」
「したら、ひき逃げ事件の捜査と、由美子ちゃんの救出を正式に依頼されるという事で宜しいですかね？」
「お願いします。和子もそれで良いだろう」
「えぇ、是非お願いします」
「分かりました。それでは、お二人には、今までの経緯(いきさつ)を包み隠さず話してほしいのです。それが事件を解決する鍵にになりますから」
星は、文忠と和子の表情を順番に窺った。
２人は一瞬、表情を曇らせたが、覚悟したように視線を上げて星と視線を合わせた。
「由美子ちゃんは、ひき逃げされる当日、家出をしたそうですね。その理由を教えて下さい」
「実は、お恥ずかしいながら、その日の朝、子供たちが学校へ出た後に、私は妻と大喧嘩をしていました。そこに、忘れ物を取りに、由美子が帰ってきたんです。
私は、怒りに我を忘れていました。自分を見失って、妻も娘もひっぱたいてしまったんです。何て馬鹿な事をしたのだろうと、悔やんでいます。それで由美子は、家を出て行ってしまったんです」
「喧嘩の理由は、なんですか？」
「ほんの些細(ささい)なことなんです」
文忠は、言い難そうな素振りを見せて苦笑いをした。
「親に叩かれたぐらいで、家出をしますかね？もし、そうだとすると、僕が子供の頃は、数え切れないくらい家出をしないといけなかったですね。冒頭にも話しましたが、隠さずに話して下さい。しっかりと背景を知っておかないと、事件が解決できません」
星は、真剣な目つきで文忠を見据えた。
「分かりました。話しましょう。しかし、ちょっと子供の前では…話し辛い内容なんですよ。幸明、お前、ちょっと部屋に行ってくれるかな」
「嫌だ、僕も一緒にいる。僕も、お姉ちゃんをひき逃げした犯人を捕まえたいんだ」
「幸明、パパの言う事を聞きなさい。さっ、ママと一緒に、行きましょう」
和子は席を立って、幸明を連れて行こうとした。
「僕だって、パパとママが喧嘩をしてた理由、知ってるさ」
幸明は、イヤイヤをして母の手を振り払った。
「何ですって？」
「夜中にオシッコに起きた時に、パパとママが喧嘩してたのを聞いたんだもん。お姉ちゃんが、パパの子供じゃないかも知れないって」
幸明は、涙声になりながら言った。
「幸明…お前、聞いてたのか」
文忠は、こめかみに手をやった。
しばし沈黙に包まれた。
「では、幸明くんも一緒に話を聞いてもらいましょう。それで、話を進めますが良いですか？」
星の問い掛けに、両親は、力なく返事をした。
「由美子ちゃんは、本当の子供でないかも知れないというショックで、家出をしたんですね。それで、何処へ行ったかという見当は付いたんですか？」
「一応、思い当たる場所には行ってみたんですが、見つけられませんでした。何とか偶然でも良いから見つかればと思って、車で走り回っていたんですが、そのうちに事故を起してしまったんです」
「なるほど。それで、由美子ちゃんは、家出から戻ってくる途中にひき逃げにあったという事ですね。後もう少しで、家に帰れると事だったのに、由美子ちゃんも無念だったでしょう」
「あの子、お金なんてもってないから、お腹を空かせてたんだと思うんです」
和子が、目頭を押さえて言葉を振るわせた。
「実は、今日、事故現場を見させてもらいました。結果から言うと、事故直後は生きていた可能性が高いと思います」
「それは良かった」
和子は、胸を撫で下ろして、ホッと息を吐いた。
「しかし、星さん。現場には多量の血がありましたよ。それに、最初現場に行った時には、警察に生存は厳しいから覚悟してくれと言われましたよ」
文忠が言った。
「よく見てみると、ブレーキ痕の上に、血痕がありました。推測すると、被害者が車に乗り上がってから、地面に落下し、出血したのでしょう」
「そうなんですか、警察はそんな事は教えてくれませんでしたよ」
「警察は現場検証の結果を、上司には報告しても、被害者の家族に報告する必要はないですからね」
「それはおかしいんじゃないですか？」
「警察は、犯人を挙げればそれで良しなんです。それで、手っ取り早く目の前にいた犯人候補を、しょっ引いたということでしょう」
「なるほど、星さんの言う通りですね」
文忠は、露骨に苦笑いをした。
「何故、犯人が由美子ちゃんを車に、のせて連れていったのかは、分かりません。考えられることは、単に恐くなって逃げたか…、それとも、運転時に飲酒をしていたので飲酒がばれるのが怖くて逃げたか…。または、車内に警察に見つかるとまずい物を置いていた…
最悪のケースは、最初から由美子ちゃんを誘拐する目的だった。
何れにしても、由美子ちゃんが、車で何所かに運ばれたのは間違いないと思います。だからこそ、早くその居場所を突き止めないと取り返しの付かないことになるんです。時間が経てば経つほど、由美子ちゃんが生きられる確率は減っていきます」
「全く、警察は俺に、かまけて何をしてたんだ」
文忠は、強く握った拳でテーブルを叩いた。
「由美子ちゃんをひいた車は、おそらく、セダンタイプの車高の低めの乗用車でしょう」
「何故、そう言えるのですか？」
「ブレーキ痕を見ると、トラックやダンプではなかったです。また、ワゴンタイプやボックスタイプの車種でもないでしょう。その種の車は面がフラットなので、子供くらいの身長の人を轢(ひ)いた時に、車の上に乗り上げることは先ずないんです」
「警察はそれを知らなかったんですか？」
「見る人がみれば分かりますがね。一応、警察もプロですからね。ある程度の予想は付いていたと思いますよ」
「私の車は、ワゴンタイプですよ。それなのに、警察はぶつかった痕があるからと言って有無を言わさずに私を犯人扱いにした。全く酷い話だ」
文忠は、憮然(ぶぜん)と眉根を寄せた。
「恐らく、現場に落ちていた車の塗料などが同系色だったのでしょう。それで、警察も全ての可能性を捨てずにいたのでしょう。
それと、現場周辺を見て回って分かったんですが、僕の予想だと、犯人は男女２人だと思います」
「何故、そうだと分かったんですか？」
「事故があった時間帯は、近くにあるラブホテルに向かう車があそこをよく通るそうです」
「そうなんですよ。ラブホテルが出来てから住民の苦情が増えました。最近、自治会の会合でもよく議題に出ていました」
「とすれば、進行方向からみても、やはり、ラブホテルに向かっていた車、と見るのが自然ですね」
「なるほど。星さんはよく観察してますね。大したもんだ。全く、警察は何を、捜査してたんだ。星さんの推理する犯人像に従えば、私とは全く違うじゃないですか。なんまら腹立つわ」
「現時点の推理で分かったのは、犯人は、男女２人。セダンタイプの車。ラブホテルに向かっている途中に、事故を起こした。そして、由美子ちゃんを車にのせて逃走した。ということです」
「可哀想なお姉ちゃん…」
幸明は、寂しそうに呟いた。
「それと、第一通報者について警察は何か言ってませんでしたか？」
「匿名で通報があったと言っていました。何でも若い女の人の声だったらしいけど。急ぎの用事があるからって、名前も名乗らないで切ったらしいんです」
「そうですか、若い女の人ですか。分かりました。何とかしてその人を見つけましょう。恐らくその人が、ひき逃げした車に関して最も情報を持っていると思いますからね」
若い女性と聞いて、星は幸明が現場周辺でウロウロしていたという、スイートポテトのオバサンの事を思い出した。
「そういえば、幸明くん、あのスイートポテトのオバサンの写真があったね。あれを出してくれるかい？」
「うん、分かったよ」
幸明は、デジカメの電源を入れて液晶に映し出した。
画面には女性が一人映っていた。
「奥さん、この人に見覚えはありませんか？」
星は、画像を和子に見せた。
「うーん、この画面だと小さくてよく分かりませんね。」
確かにデジカメに付いた液晶画面だと小さくてよく分からない。
「幸明くんが言うには、三越のデパ地下でスイートポテトを買いに行って並んでいる時に会った人だと言うんですが、見覚えはありませんか？」
星の質問に、和子はハッとした。
「この人とは親しいんですか？」
星が尋ねた。
「親しくはありません。お目に掛かったのは２回で、実際に会話をしたのは、デパ地下でだけです」
「この女性の名前とか住所は分からないんですか？」
「えぇ、残念ながら分かりません」
「そうですか。この女性とは、デパ地下で会ったのは二度目ということですが、一回目は何処であったんですか？」
「百合が原公園です。その女性が、知り合いの人と一緒にいたんです」
和子は、奥歯に物が詰まったような物言いだった。
「したら、その知り合いの方に話をして、女性の名前と住所を教えてもらいましょう」
「それは出来ません。その人とはもう会いたくありませんから」
思いつめたような強い口調だった。
「もう会いたくないというのはどういう事ですか？喧嘩でもしたんですか？」
和子は、深い深呼吸をしてから言った。
「分かりました。隠し立てしないで全部話します。だけど、今からする話は、決して口外しないで下さい」
「当然です。依頼人の秘密は、閻魔大王の前であろうと喋りませんよ」
「百合が原公園で偶然会ったのは、昔、付き合っていた男性でした。今回の私たちの夫婦の喧嘩の原因もその人が原因です。その人と別れたのは、かれこれ１０年以上も前の話です。
その人と別れてから、今の夫と付き合いました。そして、直ぐに子供を授かり結婚しました。その時に出来た子供が由美子です。その人は、何を思ったのか、今頃になって、由美子は自分の子供でないかといちゃもんを付けてきて、さらに、ＤＮＡ鑑定も要求してきました。
由美子は、今の夫との子供です。それは間違いありません。そう言いましたが、その人は信じてくれませんでした。私は、その人の要求を突っぱねて、もう二度と私たちの前に、現れないでくれと言いました」
「そうですか…そういう事情がおありですか…」
「私の行動を、主人が興信所を使って調査していたんです。その上、私に内緒でＤＮＡ鑑定まで依頼したと聞いて、それで大喧嘩をしていたんです」
和子は語気を荒げた。
「なるほど…分かりました。それで、その昔の恋人と、この写真の女性との関係について教えてもらえますか？」
星は、なだめるような口調で言った。
「真之さんの恋人だと思います。そして、数日後にデパ地下で、偶然、この女性に会ったんです」
「何の話をしたんですか？」
「大した話はしなかったですよ。私は、あまり関わりたくなかったので、あまり会話はしませんでしたが、子供たちは無邪気なもので、その女性と話をしていましたけどね。ねぇ、幸明」
「ここのスイートポテトはなまら美味しいんだとか、年は何歳だとか、そんな話だったと思うよ」
幸明が言った。
「星さん、この女性と由美子のひき逃げ事件とはどういう関係があるんですか？」
和子が尋ねた。
「今の時点では、分かりません」
「だったら、別に、この女性の名前や住所なんてどうでもいいじゃないですか？」
「そうかもしれませんね。したけど、この女性が今日、事故現場の周辺をウロウロしていたそうです。ねぇ、幸明くん？」
「うん、してたよ。なんか、ソワソワしてる感じだったよ」
「そうかい。したけどね…」
和子は、沈痛な面持ちで俯いた。
「分かりました。奥さんが聞きにくいようでしたら、僕の方で聞いてみます。その昔の恋人の方の、名前と住所を教えてもらえますか？」
「後で、紙に書いてお渡します」
「お願いします」
星は、文忠を見つめて、尋ねた。
「最後にお尋ねしますが、旦那さんは、もし仮に由美子さんが実の娘でないと分かったらどうするつもりですか？実の子でなければ、死んでも構わないんですか？」
「とんでもない、由美子は私の娘です。いなくなってよく分かりました。私にとって由美子は掛け替えの無い存在なんです。今となっては、遺伝的につながりがあろうが、なかろうが関係ありません」
「それを聞けて安心しました」
「あの時、殴った事を後悔しています。あんなことさえしなければ、由美子がひき逃げに遭うこともなかったでしょう。これは神が私に与えた罰なのかも知れません」
文忠は、ガックリと項垂れて涙を流した。
第３６章 終了
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