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第３１章 ひき逃げ
葉山美絵は助手席から、運転している竹上に言った。
「ねぇ、狭い路地で、あんまり飛ばさないでよ。あんたの運転、ただでさえ荒っぽいんだから」
「大丈夫だよ。俺のドライビングテクニックを信じろよ。それに、お前が早くホテルに行きたそうな顔をしてるから飛ばしてるんだろう」
竹上は、助手席の美絵に下卑た笑いを見せた。
美絵も満更でない顔で竹上を見た。
「ちょっとタバコに火をつけてくれ」
竹上は、胸ポケットからタバコ取って口にくわえてから、ジッポウライターを美絵に渡した。
竹上は顔を助手席の美絵の方に向けて、タバコに火を付けてもらった。
その瞬間、自転車が急に飛び出してきた。
竹上は、急ブレーキを思いっきり踏んだが間に合わなかった。
自転車に乗っていた人間が衝撃で跳ね上がり、車体の上部を転がり、後方にドサリと落ちた。
「あーあ、やっちまった。何てことだ、人をはねてしまった」
竹上は、両手で頭を抱えた。
小学生ぐらいの女の子だった。
頭からの出血が激しく、ぐったりとしてた。
意識を確かめるために、頬を叩いても反応がなかった。
美絵は、女の子の脈を取った。
「し、死んでるのか？」
竹上は、声を震わせて尋ねた。
「まだ、死んではいないみたい」
竹上は、立ち上がって道路の周辺を見回した。
既に暗くなり道行く人も車もいなかった。
目撃者は誰もいない。
「おい、トランクを開けろ」
「トランクなんか開けて、どうするのさ？」
「いいから、早く開けろ」
竹上は、美絵に向かって怒鳴った。
その時、竹上の耳に女の声が聞こた。
やばい、誰かがこっちへ来る…竹上は焦った。
大急ぎで少女を抱えて、トランクの中に入れた。
そして、素早く運転席に戻って、車を発進させた。
「ちょっと、あんた。どうする気なのさ？」
助手席の美絵が、動揺して言った。
「仕方ねぇだろう。今、おまわりに捕まったら、車の中にある例の薬がばれてしまう。それに、今の俺の体には、ヤクが回ってるんだ。尿検査でもされたら、刑務所行きだぜ。そうしたら、俺らの悪事が全てばれて、先生もお前も、そして、三ツ橋製薬もお終いだ」
「確かに、そうだけど。ひいちゃった女の子をトランクに入れて、どうすんのさ」
「誰かの声が聞こえたんだ。先ずは隠さなきゃいけねぇ。それに、被害者がいなけりゃ、ひき逃げにはならねぇしな」
「ちょっと、私、犯罪行為には加担するのは嫌だからね」
「おい、おい。今さらそれはねぇだろう。俺たちは既に犯罪者だろうが。今さら、偽善者ぶるのは止めてもらいてぇな」
「特許の盗用と、人殺しは次元が違うっしょや。下手したら、私たち、人殺しになっちゃうよ。何処かの病院に運ばなきゃ、死んじゃうっしょや」
「乗りかけた船だ。今さら、降りるなんて言わせねぇぜ」
「それじゃ、手稲の山奥にでも埋めちゃう？それとも、石狩湾に沈めちゃう？」
「さっきまでは人殺しはしないなんて言ってたくせに…本当、お前は恐ろしい女だな」
「私だって刑務所行くのは嫌だもん。そうだ。先ず、三ツ橋先生に連絡して何とかして貰おうよ。うまくいけば、あの金づるを揺する種が、もう一つ増えるっしょ」
「こんな状況で、よくそんなに冷静に頭が回るな。本当、お前だけは敵にしたくねぇよ」
「あら、だって私は何も悪いことしてないもん。女の子をひいたのはあなただし。車に乗っけたのもあなた。私は、病院に連れて行けばって助言したのに、あなたはそれをしなかった。そして、女の子を始末するのは先生だから、私は何も悪い事はしていません。どちらかと言うと、偶然に犯罪に巻き込まれたか弱き乙女って所ね」
美絵は、ポーチから煙草の箱を取り出し、銀色のジッポウライターで火を付けた。
それから、ハンドルを握る竹上の横顔目掛けて、フーっと煙を吹き付けた。
助手席のシートに腰掛けて、深く煙を吸い込んでから、携帯電話を取り出して電話を掛けた。
「もしもし、先生？美絵よ。今、大丈夫？」
「今、大学なんだ。学会前で忙しいが、君の話なら聞くよ。どうした？」
「ちょっと、どうしても先生に協力して欲しい事があるのよ」
「何だね？」
「驚かないで聞いてね。竹上さんが、あなたの薬でラリっている時に、女の子を車でひいちゃったのさ」
「な、何だと…何て事をしてくれたんだ」
「全く、ついないわ。それでね。今、ひき逃げした子をトランクに乗せてあなたの家に逃走中よ」
「私の家だと…それは困る。どこか他に行ってくれ」
「あら連れない事は言いっこなしよ。だって先生、私たち、運命共同体っしょや？それとも警察に出頭して、札幌医薬大の三ツ橋准教授からもらった薬を飲んだせいで事故を起こしたという話をすればいいかしら？」
「分かったよ。取りあえず、自宅裏のガレージに車を入れて隠れてくれ。私も直ぐに向う」
「さすが先生、頼れる男ね。したらね」
美絵は、電話を切った。
「どうだ？金づるは快く引き受けてくれたか？」
「快くはなかったけど、薬の話をちらつかせたら、渋々引き受けてくれたわ。でも先生だけじゃ頼りないから、もう一押ししておこうかしら」
美絵は、再び、携帯で電話を掛けた。
「もしもし、葉山美絵ですけど。ちょっと話したいことがあるんだけど、社長さん、今、大丈夫？」
「ああ、大丈夫だ。久しぶりやな」
「おい、お前。誰と話をしてるんだ？こんな状況で誰と話をしてるんだ？」
運転席の竹上が不機嫌そうに言った。
「ごめんなさい、社長。ちょっと頼みごとがあるんだけど、ガヤガヤして煩いんで、また後で掛け直しますわ。ごめんなさいね」
美絵は、電話を切ってから、眉間にしわを寄せ般若のような顔をして言った。
「あんたが、ひき逃げなんて馬鹿な事をやらかしてしまったら、私が必死に火消しをしてるんしょや。あんたは、変な嫉妬なんかしないで、ちゃんと前見て運転しろや」
美絵は、一喝して、竹上の頭を小突いた。
「いってぇな。余計、事故っちゃうじゃねぇかよ」
竹上は、自分の頭を撫でた。
第３１章 終了
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