第４９章 憧れと妬み
嫌々やっていたウェイトトレーニングが、漸く終わった。
アシスタントコーチが、僕ら新人に、コートサイドに戻るように指示した。
僕が、階段に向かって歩いていくと
「おーい、倉内。ちょっと来い」と、アシスタントコーチが手招きした。
ほくそ笑む彼の顔をみて、何だか嫌な予感がした‥
「お前は、ベンプレが、殆どできなかったから、居残りで、腕立て臥せだ。２０回を３セット」
『マジっすか？もう、腕が棒のようだす』
「駄目だ。ツベコベ言わずにやれ」
アシスタントコーチが目を光らせる中、僕は、腕をピクつかせながら、腕立て臥せをした。
終わった時には、筋肉が、自分とは違う生物のように、勝手にヒクヒクと微動していた。
「ＯＫ。ようやく終わったな。ぜんぜん、体が出来てないから、お前は特に、ビシバシ鍛えてやるから覚悟しておけよ。しらた、コートに戻っていいぞ」
アシスタントコーチは、そう言い残して去った。
僕は、仰向けになって、しばらく、茫然としていた。
コートに戻ると、先輩達は、間近に迫った大会へ向けて、気合のこもった練習をしていた。
ちょうど、ハーフコートの５対５をしていた。
新人では、露渕だけが、先輩に混じってコートの上に立っていた。
彼は、サブチーム、つまり控えチームのメンバーとして、選ばれていた。
レギュラーチームは、ゾーンディフェンスを敷き、大きな声と執拗な守備で、プレッシャーを掛けていた。
露渕は、厳しいディフェンスを潜り抜けて、ジャンプシュートを決めた。
将に、サブチームのエースだった。
特に、シュート力は、抜きん出ていた。レギュラーメンバーを見渡しても、彼ほどのシュート力を持つ選手は見当たらなかった。
僕は、コート上で輝く露渕を、羨ましく思いながら眺めた。
彼は、コートに住む人間だ。それに対し僕は、コートの敷居さえも跨げない、コートの外に住む人間だ。
親しい友人であるが、いざ練習が始まると、遠い存在になった。
誇らしくもあり、悲しくもあった。
露渕はレギュラーメンバーをあざ笑うかのように、何度もシュートを決めた。
それを見かねた、コーチの堪忍袋の緒が切れた。
彼は、レギュラーメンバーに向って、
「何で、何回も、一年坊にやられているんだよ」と、一喝した。
怒声が、体育館に響き、場内は一瞬静まり返った。
コーチは、バスケットコートが描かれているホワイトボードの前、レギュラーメンバーを招集した。
人を表すカラーマグネットを動かしたり、マジックペンで、動きを書いたりしながら、ディフェンスを指示した。
「お前ら、大会に向けて必死に練習して来たんだろう。それを、入ったばかりの一年坊にいいようにやられて、悔しいだろう。いいか、死ぬ気で止めろ。先輩としての根性見せろ」と、レギュラーに発破を掛けた。
レギュラーの面々は、鬼気迫る形相でディフェンスについた。
スリーポイントライン手前で、露渕にボールが渡ると、ディフェンスが２人掛かりで囲んだ。
ダブルチームだ。
露渕は、一瞬、不意を付かれたようだった。２人のプレッシャーに煽られて体が、後方に流れ、ボールを取られそうになった。
しかし、ピボットターンで、何とかしのいでから、ボールを味方にパスした。
その後、やる気のない素振りで、ちんたらとゴール下に向かって歩いて行った。
「さすがの露渕も、ダブルチームに揺しているな」と僕は嘲笑した瞬間、彼は、急にアウトサイドに走り出して、声を出してパスを要求した呼んだ。
警戒していたはずのディフェンスの足が、一歩遅れた。
露渕は、スリーポイントライン付近でパスをもらった瞬間、ジャンプシュートの体勢に入った。
ディフェンスは、必死に手を伸ばして、ブロックに飛んだ。
しかし、それは、シュートフェイクだった。
ディフェンスをドリブルで抜いてから、カバーに来たもう一人のディフェンスも、体を自転させると同時に、ボールを地球を公転する月のように廻して、抜き去った。
「何て、美しいスピンムーブだ‥」と僕は見とれた。
それから、フリースローラインで、シュートモーションに入った。
長身のセンターが、猛然とシュートブロックに飛んだ。
露渕は、後方に流れるようにジャンプした。フェイダウェイシュートだった。
指先から放たれたボールは、精一杯伸ばしたセンターの手の上を通り過ぎた。
勢い余ったセンターは、空中で露渕と衝突し、二人とも床に倒れた。
ボールは、緩やかな回転をしながら空中に弧を描き、ボールは、吸い込まれるようにリングに向かいネットを揺らした。
体育館は、歓声に包まれた。
コーチは、腕を組みながら、半ば呆れ顔で、首を横に振っていた。
僕の隣にいた新人の板垣と武田は、抱き合いながら飛び跳ねていた。
コートサイドで観ていた女バスからも、黄色い歓声と拍手が沸き起こった。
藤子さんも、拍手をしながら、大きな歓声を上げていた。
それを見た僕は、妬みの気持ちが心の底から、沸々と湧き上がって来た。
その日の練習が終わってから、新人たちで飯を食べに行こうと、露渕に誘われたが、僕は断った。
僕は、憧れの心と恋心が絡まりあって、揺れ動いていた。
もし晩飯を一緒に食べれば、心に潜む羨みと妬みの感情を隠し通すことができないように思えた。
だから、僕は一人、家路に着いた。
第４９章 終了
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