第１３章 幻想
元気は、祢津の言葉に、妙に引っかかる物を感じた。
「祢津さん、その辟易しているっていうのは、どんな事に対してですか？」
「えっ…、海野さん…。さっきの話はオフレコと言うことで、忘れてくれませんか」
「若しかして、アズマヤサンの社有林に関する事ではないですか？」
「うーん、困りましたな」
祢津は、頭を掻いて、バツの悪い顔をした。
「長年の付き合いもある事でしょうから、お話は、オフレコで伺いますよ」
元気は、優しい声色で話しかけた。
「眞田さんには、私が話していたとは、絶対に言わないと約束してくれますか？」
「もちろん、絶対に、口が裂けても言いませんよ」
「平成の今日、日本は高齢化の社会の真っ只中ですが、私らの神社にも同じように高齢化の波が押し寄せてましてなぁ…。社有林をアズマヤサンに持っておりますが、山の管理は出来ずに荒れ放題なんです。かつては、真田幸村の父である昌幸が保護をしたという森林も、今では見る影もないですわ。そこで、神社としても二束三文にもならない山林を所持していても、経費だけかかってしょうがないので、一層の事、売り払おうと思っていたんです。しかし、困った事に、眞田さんは大反対でしてね…」
「眞田さんが反対したのは、何故なんですか？」
「まぁ、簡単に言えば、伝統や歴史に泥を塗ることになるからでしょうかね」
「伝統や歴史ですか…」
「山林を売る話をしたら、頭ごなしに怒られましてね…まいりましたよ」
「でも、神社が所有権を持っているのであれば、眞田さんに何を言われても関係ないんじゃないですか？」
「まぁ、決定権は神社が持っておりますが…、眞田さんは、この神社の氏子総代です。それに、真田の時代から、この土地の名門ですからね。色々と面倒なんですよ…」
「名門ですか…。名門って何ですかね？真田が名門になったといっても、たかが５００年前ぐらいの話ですよね」
「ほう、たかが５００年ですか…。海野さんは、面白い事を言いますね。そう、そう、たかが５００年ですよ。若しかして、海野さんは、真田が戦国武将として伸し上がる前は、海野一族こそが、上田の名門だったという事を言いたいのですか？」
「いえ、そんな小さな事を言いたいわけじゃないです」
「ほう、小さい事ね」
「例えば、１０００年前、２０００年前、この地方は、誰のものだったのか？」
「１０００年前といえば、木曾義仲が活躍していた頃ですかな、２０００年前といえば、うーん、そうですな、それこそ、ヤマトタケルの活躍した頃ですかな。でも、その頃、誰が治めていたのかは私も分かりませんね」
「僕も知りませんし、知る必要もないと思います。何れにしても、人間が土地をずっと支配する事はできません。それは、歴史が証明しています。人間が自分の土地だと思っているのは、単なる思い込みにすぎない。幻想、そう、土地を所有しているというのは、人間の幻想にすぎない。僕が言いたいのは、そういうことです」
「元気くんって、意外に、芯が通った考えを持っているのね。ちょっと、見直しちゃった」
安寿が、いつもとちょっと違う視線で、元気を見つめた。
「あの頑固オヤジにも、海野さんの爪の垢を煎じて飲んで欲しいぐらいですよ」
祢津が、首を振りながら溜息を漏らした。
「ところで、神主さん」
安寿が、キリッとした目を向けた。
「ケイジか、取材を受けた時も、そのように答えたんですか？」
「とんでもない。その時は、眞田さんに大反対された直後でしたからね。マスコミに売るなんて言ったら、殺されちゃいますよ。まぁ、わざわざ取材に来てくれた記者さんには、気の毒でしたが、業者に売り払うつもりはないと答えましたよ」
「神主さんが、売ろうと考えていた業者というのは、不動産業者ですか？」
「不動産業者なんて、あんな山奥の人も住めないような土地なんて買いませんよ」
「それじゃあ、その業者というのはどのような業種なんですか？」
「うむ、それは…」と眉根を寄せて、口を噤んだ。
「もしかして、違法な産廃業者じゃないでしょうね？」と詰め寄った。
「違いますよ…むうー、お嬢さんには、かないませんね。これは絶対に、オフレコですよ。詳しい名前は言えませんが、山林を買いたいと言ってきたのは、観光開発の業者です。決して、違法業者なんかじゃないですよ」
「それは、長野県の地元の観光業者ですか？」
「すいませんが、そこまで言えませんよ。それに、山林の売却話は、ご破算になったんだから、もういいじゃないですか」
「でも神主さんは、眞田さんに反対されるまでは、売却する気だったんですよね？」
「いやぁ、半々ですよ。管理が出来ずに山が荒れ放題になるよりは、有効に利用してくれる方がいれば売ってもいいなと思っていただけすから。まぁ、氏子さんたちの反対を押し切ってまで売ろうとは思っていませんよ」
「ふーん、そうなんですか…。話かたからすると、神主さんは、売りたくてしょうがないのかと感じたんですけど、そういうわけじゃないんですね。でも、どうして、眞田さんは、神主さんを怒鳴りつけるぐらい反対したんでしょうか？」
「そんなの私が知るわけないでしょう。こっちが知りたいぐらいですよ。山林は、売っちゃいけねぇ、山を守らねぇと里が滅びるって、説教されましたよ。そうだ、ちょうどいいや。これから眞田さんのお宅に言った時に、お嬢さんの方から、聞いてみてください。では、私は、これからちょっと用事がありますから、これで失礼しますね。うー、さむさむ」
祢津は、そそくさと歩いて、社務所に戻って行った。
ザッザッザッザーと、境内の太い杉の枝に積もっていた雪が一気に落ちてきて、雪煙がぼふぁっと上がった。杉の上を見上げると、黒ずんだ濃緑の杉の枝が、不気味に揺れていた。
第１３章 終了
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