第１６章 ダスって喋れば駄目ダスか？
最終コマの東洋史の講義が終わってから、バスケット部の練習に参加する為に、体育館に向かった。
大学のバスケット部に顔を出すのは初めてだった。
教養部北棟の正面玄関を出ると、キャンパスのメインストリート越しに、体育館が見えた。
体育館の壁は白亜色で、屋根は空に向かってゆったりしたと弓弧を描いていた。
その外観は、蒲鉾のような形をしていた。
体育館の周りには、屋根よりも高い木々が生えていて、寒空に向かって、枝梢を広げていた。
体育館の屋根には、春陽の攻撃に晒されながらも、雪が冬を名残惜しんでいるかのように残っていた。
僕の目には、疎らに屋根にしがみ付く雪の姿が、春の訪れに抗う意固地な存在に映った。
自動車の往来に気を付けながら、メインストリートを横切った。
そこから体育館入口までは、雪と泥が格闘する未舗装の道が伸びていた。
道を歩きながら、体育館を取り囲んでいる樹木を見上げていると、そこから、１０羽程の小鳥の群れが、一斉に飛び立った。
小鳥は、橙色掛かった色をしていた。
群れは、僕の頭上を飛び過ぎて行った。さらに、僕が出て来た教養部北棟の上空を羽ばたいて、茜を帯び始めた西雲のたなびきへ向かって、溶けるように消えていった。
体育館の扉を押し開けると、ロビーの一角でバスケット部らしいジャージを着た集団が、ストレッチをしていた。
僕は、玄関で外靴を脱いで、内履きは履かずに、靴下のままでタイル張りのロビーを歩いた。
予想以上に床のタイルが、冷たかった。
歩く度に、汗ばんだ足裏から、薄い靴下を躱わして、体温が掏り取られる感じだった。
ストレッチをしている人達の所に行き、声を掛けた。
『すいません。あの、僕、バスケ部さ入りてぇんだすばって、今日がら、練習さ入れてもらっても良いっすか？』
声を掛けた人が、少し不思議そうな顔で聞き返してきた。
「君、バスケ部に入部したいのかい？」
『んだす。早速、今日がら練習してんだすばって、大丈夫だすか？』
彼は、僕の顔を凝視して、再び不思議そうな表情を見せた。
そして、少し間を置いてから、
「あぁ、練習ね。大丈夫だと思うけど、ちょっと待ってて。キャプテンに聞いてくるから」と言い残して、体育館フロアの入口扉の方に歩いて行った。
彼は、足首のテーピングを女子マネージャーにして貰っている人に話掛けた。
僕の方を見て、二人で何やら話をしているみたいだった。
どうやら、テーピングを巻いて貰っている人がキャプテンらしい。
そのキャプテンらしき人が、僕を手招きした。
僕は歩いて彼の傍に行った。
「今日から練習したいんだって？バッシュや着替えは、持って来ている？」
『はい、持って来たっす。』
「じゃ、問題ないな。それで、君、名前は何て云うの？」
『倉内だす』
「倉内かい。下の名前は？」
『岳実だす。あの、タゲは山岳のタゲで、ミは、実るのミだす』
「倉内岳実ね。俺は、キャプテンやってる富田。ヨロシクな」
『こちらこそ、宜しくっす。』
「所で、倉内の出身は何所だい？」
『秋田だす』
「秋田かい。秋田の人は、そんなに、何とかダス、何とかダスって言うの？」
『んだすな。そう言われれば、よく喋るっすな。だすって喋れば、駄目だすか？』
「否、駄目な訳じゃなくって、あんまりそう云う言い方を聞いたこと無かったからさ。良いよ、良いよ。ドンドン言って、面白いから」と、キャプテンは笑った。
僕は、何だか馬鹿にされたような気がして、釈然としなかった。
『バスケ部には、秋田出身の人は、居ないのですか？』と、標準語を意識して、普段の喋り方を変えて訊いてみた。
「一人、秋田出身の奴がいたよな。工藤は、確か秋田出身だったはずだな。あれ、なっちゃん。工藤は、どこの高校出身だったかな？」とテーピングを巻いている女子マネージャーに訊いた。
「工藤君は、湯沢ですね。藤田さん、後、もう一人、秋田出身の人を忘れてません？」と、なっちゃんと呼ばれた女子マネージャーが少し首を傾げて、キャプテンを見た。
「あと、誰かいたかなぁ？」とキャプテンは、眉根を寄せた。
「小麻ちゃんですよ。本気で忘れたんですか？」
「あっ、小麻ちゃんね。小麻ちゃんも秋田だったね。やばい、やばい、忘れていた」
「あーあ、富田さんが、小麻ちゃんの出身忘れていたなんて聞かれたら、怒られますよ。小麻ちゃんは、富田さんファンなのになぁ。残念ですね、富田さん。ファンが一人減っちゃいましたよ。まさか、私の出身まで忘れてしまったなんて事は言いませんよね？」
「まさか、お美しい夏子さまの出身を忘れるなんて事はないよ。えーと、夏ちゃんの出身は、確か上富良野だよね。ただの富良野じゃないんですよーって、百万回くらい聞いた気がするな」
「上富良野は、合ってますけど、百万回も言ってないですよ―。もう、富田さんの意地悪。そんな事言うのなら、小麻ちゃんに告げ口しちゃおっかなぁ。あぁ、小麻ちゃん、可愛そうだなぁ。小麻ちゃんは、秋田美人っていうのが、一番のウリなのになぁ」
「ゴメン、ゴメン。俺が悪かった。夏子さま、許してください」
「分かってますよ。冗談ですよ、ちょっとからかっただけですよ」
「夏ちゃんさ、ちなみに、小麻ちゃんの出身校は、何所だっけ？」
「富田さん、マジで忘れちゃったんですか。まったく、本気で忘れちゃ、駄目しょや、。角館ですよ。カ、ク、ノ、ダ、テ。もう一回言いましょうか。カ、ク、ノ、ダ、テ。はい、これでもうこれで忘れないですよねー」
「あぁ、そうだった思い出したよ。小麻ちゃん曰く、美人の郷、角館だね」
「そうですよ。もう忘れないで下さいね。はい、テーピング終りましたよ。春季大会前なんですから、怪我には気をつけて下さいね」と、夏子さんは、キャプテンの足首に巻かれたテーピングを、ポンっと叩いた。
キャプテンが、テーピングの上からソックスを履き、バッシュの紐を結んでから、僕の方を向き直した。
｢所でさ、倉内のバスケ経験はどれくらい｣
『中学からだがら、６年だす』
｢じゃあ、初心者じゃないから、練習内容は大体、想像付くよね？｣
『大体、分がると思います。高校の練習は、死にそうな程、厳しかったすから。練習さはついて行げると思うっす』と僕は少し自慢気に話した。
｢ほう、それは頼もしいね。まぁ、練習初日だし、無理だと思ったら、途中で抜けてもいいからさ｣
キャプテンの語り口は、優しかった。
しかし、君は練習の最後までついて来ることはできない、と断定されたように思えた。
それが、僕の反骨心を呼び起した。
僕は、是が非でも練習を最後までやり通して、キャプテンの予想を裏切ってやろうと思った。
「倉内、先ずは着替えて、ロビーでストレッチして置いて。入念に体を伸ばしておいてね。初日に怪我するのは馬鹿らしいからさ」
『分がったす。所で、着替える場所ってのは、何所さ、あるんだすか？』
「ゴメン。着替える場所はね、ここの扉から、一旦フロアに入ってから、左側に壁伝いに行くと用具室があるんだ。そこで着替えてくれるかい？」
『分がったす。ありがとうございました』
僕は扉を開けて、体育館のフロアに入った。
そこでは、フットサルの練習が行われていた。
フットサルの練習の邪魔にならないように、壁伝いに歩いて行き、「用具室」と書かれた部屋の引戸を開けて、中に入った。
器械体操で使用すると思われるマットや鉄棒などの用具が、その部屋の殆ど場所を占めていた。
また、床には器械体操で使う滑り止めの白い粉が散乱していた。
辛うじて蟹歩きで進めるだけの隙間を進んで行き、その先にあった一畳程の空間で着替え始めた。
「こんなに汚くて狭い所で、これから毎日着替えをしなければいけないのか…」と思いながらも、そこで何とか着替え終わった。
｢用具室｣から出て足の裏を見ると、靴下の底には、白い粉が付着していた。
着替え終わってから、ロビーに戻ってくると、シュウがちょうど良く、玄関からロビーに上がってくる所だった。
彼に手を振ると気付いたようで、彼も片手を挙げて合図し、僕の方に向かって来た。
『シュウ、来たな。東洋史の講義さ来なかったけど、どうした？』
「図書館で、勉強している内に寝てしまって、行きそびれちまっただよ」と彼は、頭を掻いた。
『あれ、長沼君や筑紫君も、一緒でねがったの？』
「奴らね、３０分くらいしたら、飽きたからって言って、すぐに出て行っちまったよ。俺は、一応、一時間以上は勉強してたんだけどね。暖房が、効き過ぎてて
さ。それがまた、寝るには持って来いの温度でさ、いつの間にやら、夢の中だったよ。倉内は、ちゃんと講義に出たのかい？」
『遅刻したけど、一応は出たよ。出欠は取ってねがったな。あと、配布してたプリントあったから、シュウ君のも、貰っておいたよ』と、鞄から東洋史のプリントを取り出して、彼に手渡した。
「申し訳ないね。ありがとう」
シュウは、プリントを受け取り、大きなショルダーバッグを開けて、その中にプリントを四つ折にして突っ込んだ。
第１６章 終了
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