第１３章 大仏の念仏
講義室に入った。教壇が一番下にあり、受講席が下から上へ扇状に広がり、段々に高くなっている擂鉢状の講義室だった。
僕ら４人は、最後方の席に、横一列になって座った。
早速、鬼仏表を捲って、物理学の担当の講師を探した。
「あった。この講師は、大仏だぞ」と、最初に見つけた筑紫が言った。
「どこ、何ページだい？」と、シュウが聞いた。
「えーと、１５ページだね」
僕も、１５ページを開いた。
担当の講師の欄には、こう書かれていた。
〈大仏…しっかり出席し、試験を受ければ殆どが『優』の成績で通る。ただし、評価も大雑把であるが、講義も大雑把である〉
大仏様とは有難い話だ。
大仏の評価を得るくらいだから、余程、評判の良い先生なのだろうと思った。
講義が始まると、講師は、聞き取り難いボソボソした声で言った。
「前の席から出席カードを配布しますので、今日の日付と名前、学生番号を記入してください。各列の人数分しか配布しません。出席簿を回してしまうと、簡単に代筆されてしまいますから、人数分しかカードは配りません」
「何だよ、大仏の割には、結構、姑息な方法で出席採るんだな。」と、筑紫が呟いた。
「まぁ、出席カードさえ書いちまえば良いんだろう。確かに、代筆は良くねぇからな。嘘は、いけねぇだな」と、シュウが、真面目な表情で言った。
大仏の物理の講義が始まった。
「始めは力学の講義をします。板書しますので、それをノートに書き写してくださいね」と、大仏は板書を始めた。
黒板に向かって、何やらブツクサと言いながら、数式と図を書いて行った。
そして、講義中、それがずっと続いた。
生徒たちは、延々と、彼が書いたものを、ノートに書き写し続けた。
「あーあ。しかし、詰まらないな、大仏の講義」
と、筑紫が大きな欠伸をしてから、呟いた。
『ブツブツと黒板に向かって、独り言を喋るだげで、殆どこっち向かねぇな』と、僕も同意した。
「本気で、詰まらないぜ。ブツブツ言ってるのは、念仏でも唱えてるんじゃねぇのか。大仏というよりは、托鉢している念仏坊主って感じだぜ、ありゃ」と、筑紫が皮肉ると、長沼は、
「言えてるね。将に、念仏坊主だべや。こんな講義じゃ、やる気が出ないね」
「俺は、やる気どころか、眠気しか出てこないぜ」と筑紫が、愚痴った。
「確かに詰まんねぇな。だけんど、物理は必修科目だし、ノートだけはちゃんと取ろうや」と、シュウは真面目に鉛筆を進めた。
終業まで、大仏は念仏を唱えながら、板書し続けた。
そして、僕等は写経をし続けた。
本気で詰まらない講義だった。
本来説明するべき学生に対してではなく、黒板に説明しているようだった。
生徒と視線を交わそうともしなかったし、良く分かるように説明しようという意思は、大仏の頭の中には皆無のようだった。
それは、坊主が民衆に念仏を唱える時ように、端から理解して貰おうとは思っていないように思えた。
大仏の講義を受けていると、僕の心の中にあった物理学に対する情熱に、隙間風が吹き込んだ。
退屈に屁がつくほどのつまらない、念仏坊主の物理学の講義が終わった。
長沼が、ノートを鞄に閉まってから、シュウに聞いた。
「次の選択科目は、何か取ってるの？」
「今のところ、何も取る予定はねぇから、図書館に行こうと思ってるだ」
「図書館で勉強かい。シュウは、気合入ってるね。僕も、特に取りたい講義はないから、図書館に一緒させてもらおうかな。倉内と筑紫はどうするの？」
それに対して、筑紫は、
「俺、ちょっと買いたい物があるから、大通の方に行って来るよ」と言った。
『我は、何の講義も取ってねぇけど、図書館で勉強する気も起ぎねぇがら、生協の本屋さでも行って、立ち読みでもするよ』と僕は答えた。
「したら、みんな４コマ目は、空き時間なんだね。僕は、５コマ目の選択の講義は、古典文学に行ってみようと思ってるけど、皆は、何か取る積もりなの？」
それに対して、筑紫は、
「何も取る積もりはないね。所でその古典文学では何をやるの？」
「講義案内には、源氏物語って書いてあったよ」
「源氏物語か…」と、筑紫が少し考え込んだ。
「筑紫は、古典文学に興味があるの？」
「いや、古典文学には、さらさら興味がないね。唯さ、源氏物語って確か、平安時代のプレイボーイの話だよね」
「まぁ、光源氏が主人公だから、平安時代のプレイボーイの話っていうのは間違いではないね」
「そうか。じゃ、俺もそれに行って見ようかな。長沼、一緒に連れて行ってくれよ」
「何だよ、古典文学には興味が無いって言ってたくせに」
「古典文学には興味はない。でも女の口説き方には興味があるんだ。俺は高校時代に、女に振られまくったという悲惨極まりない過去を持った男だからさ」と、筑紫は、泣きべそをかく真似をした。
「まぁ、女の口説き方が分かるかどうかは分からないけど。まずは、一緒に行ってみようか。したら、講義の始まる１０分前に、教養北棟の中央ロビーで待ち合わせるかい」
「ああ、いいよ」
「シュウは、５コマ目は何の講義に行くつもりなんだい」
「俺は、歴史学に行ってみようと思ってるんだけんど、倉内はどうするだ？｣と、シュウが聞いた。
『歴史学って、東洋史の方？それとも西洋史、日本史？』
「東洋史だよ。講義の内容が、シルクロードのやつだな｣
『んだば、一緒だな。俺も、その講義さ行ぐつもりだったんだ。確か、前期の内容は、敦煌だったよな』
「そうそう、敦煌だな。まぁ、敦煌もシルクロードも似たようなもんだ｣
『まぁ、似だようなもんだな』と言ったものの、内心ではちょっと違うぞと思っていた。
「それじゃ、歴史学の時間に、またな」
シュウと長沼は、一緒に図書館に向かって行った。
第１３章 終了
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