第９章 戦死の連鎖
故郷の盆地では、達子森（タッコモリ）が良く見えた。
昔話で、デンダラ坊が忘れていった握り飯に木々が生えて出来た山である。
盆地の中央に泰然として佇み、そこに住む人々の暮らしを見守ってくれている。
タッコ森を眺めると、いつも僕は、祖母の昔話を思い出す。
そして、その後に祖母の声が心の中に優しく甦ってくる。
祖母には、昔話だけではなく、いろいろな話も聞き、祖父に付いても話てもらった。
祖父の仏壇の前で、母の瞳に潜んでいた宿寂を覗いてしまったあの日から、母に投げ掛ける事が出来ずにいた問いが、ずっと心の中で棚引いていた。
ある夜、祖母の昔話がが始まる前、その問いを思い切って祖母に投げ掛けてみた。
祖母は、一瞬、口篭もってしまい、何も言わなかった。
布団の暗闇の中で、祖母と二人っきりで対峙する沈黙の中、鼓動だけが僕の鼓膜に響いた。
僕の質問が、母だけでなく祖母をも悲しませてしまったと、後悔した。
祖母は僕の頭を優しく撫でから、ゆっくりと、祖父の死について語ってくれた。
祖母の話によると、祖父は、戦死したという事だった。
太平洋戦争に従軍した祖父は、遥か彼方の南海の島で戦い果てた。
そして、いまだに祖父の遺骨は見つからず、南太平洋に浮かぶ何処の島で、熱帯雨林の肥やしとなって埋れている。
祖母の話は、更に続いた。
驚いた事に、戦死したのは、祖父だけではなく、祖父の祖父も、戦争で死んだという事だった。
祖父の祖父は、幕末の戊辰戦争で戦死した。
鳥羽伏見の戦いから端を発した幕末の内戦は、比内の盆地にも及んだ。
新政府方に付いた秋田藩に、幕府方の南部軍が侵攻して戦が始まった。
米代川沿いに進軍した南部軍は、秋田領の十二所を攻略し、比内の地に侵攻した。
米代川流域で対峙した秋田軍と南部軍は、激戦となり、町は焼失し多くの人が亡くなった。
今日においても、攻防の要衝となった米代川河岸に立つ神社の境内には、戦闘時の銃弾が埋まっている杉の大木が立ち並んでいる。
そして、昔と変わらず、河畔にその木影を落とし、人々の営みを見下ろしている。
僕が物心付いた時から、祖父は写真の中にいて、仏壇に鎮座し家族みんなに崇められていた。
僕は、何となく祖父とは血の繋がりがあるという事は認識できていたが、この世で生きている僕と、亡くなってあの世にいる祖父との間には、直接的な結び付きはないと思っていた。
確かに僕の涙黒子は、祖父との血脈の繋がりを示す物だったが、それは、祖父のこの世に残した足跡みたいなもので、知らない内に、何時の間にか僕がこの世で生きているように、祖父もまた、何時の間にか世からいなくなったのだろう、と云うぐらいにしか考えていなかった。
だが、祖父が戦争で死んだことを知り、今も尚、遠い南の島に骸骨となって埋れている情景を想像した瞬間、僕はとてつもない恐怖を感じた。
僕は戦争を体験したことはない。
しかし、戦争の本質、つまり、生き物と生き物が殺し合うという状況は、幼心にも理解できた。
むしろ、大人よりも脆弱で死に近い子供という立場であるが故に、死に対してより敏感で、弱肉強食の掟を本能的に感じる事が出来た。二人の祖先と僕は、生ではなく死で繋がっているような感じがした。
先祖が辿った戦死の連鎖が、僕にも伸びているように思えた。
戦死という見えない鎖が、祖父から僕に伸びてきて、何時の間にか、それが僕に絡み付き、僕は引き摺られて行ってしまう。死に誘う闇が、背後に迫って来たような感覚に襲われた。
祖父の死に付いての話を聞き終えると、戦きながら強く祖母にしがみ付いた。
祖母は余りの僕の怯え様に驚き、戦争の話をした事を謝りながら、優しく抱きしめてくれた。
思い返せば、戦争に連行されそうになったり、何者かに足を引っ張られて水底に沈んで行く悪夢を見るようになったのは、その夜からだ。
それ以来、”死”という者が、この世の何かに姿を変えて潜み、虎視眈々と僕の命を狙っていると思うようになった。
祖父が戦争で死んだという事実に、僕が怯えたからといって、祖父に関する問いが止んだ訳ではなかった。
あの晩以降、祖母は、戦争の話は口に出さなくなったが、それ以上に祖父との楽しかった日々の話を聞かせてくれた。
僕は外孫ではあったが、孫の中では一番祖父について知っていると、自負している。
戦争という言葉を聞くと、おぞましいという印象や恐ろしいという感情に取り憑かれてしまう。
しかし、その言葉の裏に隠れた正体を見ようともせずに、まるで幽霊でも見るかのように恐れ戦いていた。
だが、戦争に生きて、戦争で死んだ祖父にとっては、過去でも夢想でもなく、紛れもなく現在そのものだった。
彼の本意ではなかったと思うが、祖父にとっては、戦争が人生そのものだったのだ。
だから、僕が祖父についてもっと知りたいと思えば、否が応にも戦争にぶち当たってしまう。
最近になって、祖父が闘い、そして、その命を散らした戦争の話を、祖母から、もっときちんと聞いておけば良かったと思うようになった。
子供の頃、あれほど恐れて、忌み嫌っていた戦争。
その戦争について、年を重ねれば重ねるだけ、何故か、もっと知りたいと思うようになっていた。
何故、祖父は戦争で死ななければならなかったのか？
祖父の命を奪った戦争とは何なのか？
布団の中で祖母から、もっとしっかりと戦争の話を聞く事ができたはずの幼き日々を、逸してしまった事は、今となっては残念に思える。
今さら２０歳を目前にした男が、祖母の布団に潜り込むのは無理だろうが、帰省した折にでも、何気なく祖父と戦争について聞いてみたいと考えている。
戦争という名のもとに、命散った祖父の人生を聞いてみたい、最近、無性にそう思う。
第９章 終了
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