第５８章 天国と地獄
宴会場に戻ると、男バスの自己紹介は既に終わり、女バスの自己紹介が始まっていた。
そこでも「シューテングガード」つながりで、何杯もビールを飲む破目になった。
ようやく全員の自己紹介が終わり、やっと平和な時間が訪れた、と思ったのも束の間、先輩達がビール瓶を持ちながら、新入部員へ注ぎに回った。
自己紹介の時の僕の早飲みが、先輩達にうけたようで、たくさんの先輩が来た。その度に、小麻子さんは、面白がって囃し歌を唄って、場を盛り上げた。
酔いが回りビールの苦味もよく分からなくなっていたが、先輩達に顔を売る好機（チャンス）だと考え、調子に乗って早飲みを繰り返した。僕の周囲が、宴会
場の中で最も盛り上がっていた。秒速飲みを繰り返すのは、辛かったが、飲み会の主役になったようで、高揚感に満たされた。
浮かれれいたのも束の間、２度目のトイレへ駆け込んだ。
口から滝のように溢れてきた。何度も噎（む）せ返り、洟（はなみず）や涙が垂れてきた。
吐き終えてから、トイレットペーパーで、涙を拭き、洟をかんで、涎（よだれ）を拭き取った。
大きく深呼吸してから、小麻子さんがいるあの席は危険だから、もう戻るまいと思った。
トイレを出ると、足元をふら付かせながら、宴会場に戻ると、さっきまで座っていた席から小麻子さんが、いなくなり、藤子（とうこ）さんが座っていた。無
間地獄から一気に極楽浄土に変わったような気分だった。千鳥足ならがも、心は浮き浮きさせて、藤子さんの前の席に座った。
早速、駆け付け一杯ということで、藤子さんが注いでくれた。良い所を見せようと、僕は俄然やる気になった。トイレからカムバックしたばかりで、胃袋には余裕があったので、快調に秒速飲みを披露できた。
藤子さんが、驚嘆の眼差しで僕を見て、拍手をしてくれた。
有頂天になった僕は、自ら音頭を取って、グラスを高々と掲げた。
藤子さんと夏子さんの掛け声を聞きながら、連続で秒速飲みを行なった。空になったグラスを高々と掲げると、大きな拍手を受けた。
「タケミくん、そんなに早く飲めるなんて凄いね。さすが、秒速飲みの男」と藤子さんが褒めてくれた。
その言葉を聞いて、新歓コンパに来て良かった、と初めて思った。
しかし、幸せな時間は、長くは続かなかった。
あの鬼マネージャーの小麻子さんが、戻って来た。
「あらっ、あんた。さっき、死にそうな顔してトイレに行ったくせに、やけに嬉しそうに飲んでるじゃない？」と小麻子さんが、ビール瓶を僕に向けた。
一気に奈落の底に落とされた僕は、やけくそな気分で、ビールを呷った。
「藤子に注いでもらってた時は、あんなに嬉しそうな顔してたくせに、私の酒は、不味そうに飲むんだね？」とビールと一緒に、嫌味も注いた。
『いや、そんた事はねぇっす。立て続けに一気したがら、少し苦しくなって来たんだすよ』
「ふーん、私には、そうは見えなかったけどな…」
「小麻ちゃん。そんなに苛（いじ）めなくってもいいっしょ。タケミくんも、頑張って飲んでくれたんだしさ」と、夏子さんが宥（なだ）めてくれた。
藤子さん、夏子さん、小麻子さんの三人で、姦（かしま）しく会話が始まった。僕は、小麻子さんの逆鱗に触れないように、おとなしく相槌を打ちながら、耳を傾けた。
「所でさ、小麻ちゃん。富田さんが、彼女と別れたらしいよ」と藤子さんが声を潜めて言った。
「えっ、本当？それは、初耳だよ」
「さっきね、男バスの４年目の人たちと、一緒に飲んでたんだ。したら、山田先輩から、その話が出たのよ」
「いつ別れたの？」
小麻子さんは、テーブルの上に身を乗り出して藤子さんに顔を寄せた。
「何でも、一週間ぐらい前らしいよ」
「小麻ちゃん、良かったね。今晩が、チャンスじゃないのかい？」と夏子さんが、目配せした。
「でも明日、朝一でバイトだから、一次会で帰ろうと思ってたんだ。どうしたらいいべなぁ」
「したら、二次会で、あんまり飲まなきゃいいしょ」と夏子さんが言った。
「小麻ちゃんに、出来ると思う？」と藤子さんが首を傾げた。
「そうだね。小麻ちゃんには、ちょっと無理だわ」
藤子さんと夏子さんが、揃って笑った。それに釣られて、僕も笑った。
「ちょっと、タケゾウ。あんた、何がそんなに可笑しいんだ？」
小麻子さんが、睨んだ。
『いやっ。全然、可笑しくないっす。ちなみに、名前は、タケゾウではねくって、タケミだすよ』
「しゃしね、この新人が。こっちが、あんたの名前を間違ったとでも言うのが？」
小麻子さんが、ビールの瓶口を、目の前に突きつた。
余計な愛想笑いはしないで、適当に流しておけば良かったと思ったが、それは後の祭。もう一杯の飲まされる羽目になった。
席を移動したかったのはやまやまだが、藤子さんの恋愛話も出てくるかも、という淡い期待を持っていたので、小麻子さんの隣に我慢して座り続けた。
「ようーし、決めた。私、二次会に行っても、酒は一滴も飲まない」
「本当に？小麻ちゃんに、出来るかなぁ？」と藤子さんが首を捻った。
「出来るさ。でも、酔った振りをして富田さんに思いっきり甘えちゃおう」と小麻子さんはシタリ顔をした。
僕は、内心、「あなたは十分に酔っ払いだよ」と言いたかったが、悟られないように俯（うつむ）いてグラスに口を付けて、ビールを飲むふりをした。
「したら、私も頑張っちゃおうかな」と夏子さんが、首を伸ばして、宴会場を見渡した。
誰かを探しているようだった。そして、意味ありげな表情で、僕に言った。
「タケミくん。露渕くんとは、仲良いでしょ？」
『まぁ、仲良いっすよ』
「したら、露渕くんに、彼女いるかどうかって知ってる？」
『一応、知ってます』
「えー、本当かい。して、どうなんさ？」
『高校の時に付き合ってだ彼女がいだけど、大学さ入って遠距離になるがら、別れだそうだす』
「したら、今は、いないんだね」と夏子さんは声を弾ませた。
「良かったね、夏っちゃん。チャンスだね、これは」と藤子さんが微笑んだ。
「うん、なまら嬉しいさ」
「夏っちゃん、それなら、早速、露渕くんの所に言ってくればいいさ」
「そうだね。したら、私、ちょっと行ってくるね」
夏子さんは、立ち上がって、露渕の隣へ移動した。
第５８章 終了
→ 第５９章 バージンコンプレックス へ
→ このページのトップへ戻る
→ 前のページへ戻る
|
|