第５６章 Crazy ススキノ
美しき夜灯の街、ススキノ。週末の夜、多くの老若男女が、行き交っていた。
信号待ちをしていると、ビルの壁一面に描かれた「麦を持った王様」が目に飛び込んできた。
気を取られて見上げていると、背中に、誰か軽くがぶつかった。それで、ようやく、信号が既に青になっている事に気が付いた。
我に返り、周りを探したが、露渕は見当たらなかった。キョロキョロしながら信号を渡ると、歩道の人波の向こうに、露渕を見つけた。大きく手を振って彼の元へ駆け寄った。
「オイオイ、何してたんだよ。はぐれたかと思ったぜ」
『ごめん、あれ眺めでだら、ツユを見失ってしまった』と、ビルに輝くヒゲモジャの王様を指差した。
「ススキノで、一々、そんなの見ていたら、切りがねぇよ」
『珍しいがら、思わず見てしまったんだ』と、頭を掻いた。
「まぁ、青森にはこんな繁華街ないから仕方ないか」と、わざとらしく、皓歯を見せてニヤけた。
『青森でねぇよ』
「あぁ、ごめん。秋田だったな。どっちにしても、タケのお気に入りのネオンの王様は、ないだろう？」
『悪がったな、ねぇよ』
彼の言い方が少し鼻に付いたので、僕はぶっきら棒に答えた。
「ここで油売っていても仕方がねぇから、先急ぐぞ。はぐれても、もう待たないから、ちゃんと付いて来いよ」
僕は、迷子になりたくない一心で、余所見もせずに、金魚の糞になって、付いて行った。
飲み屋に入ると、座敷の大部屋へ案内された。
だだっ広い宴席に、座っている人は疎らで、他の新入部員は、まだ来ていなかった。何処に座ればいいのか分からなかったので、取り敢えず適当な場所に、二人一緒に並んで座った。
数分後、板垣や武田といった新入部員も来て、目敏く僕らを見つけて、ひと塊になって座った。
新歓コンパでは、僕らは歓迎される側だった。しかし、新入部員が、かなり飲まされるという噂を聞いていたので、みんな、不安だった。
始まりの時間が迫ってくると、緑のスタジャンを着た先輩達が、続々と座敷に入って来た。
迫り来る新歓コンパへの不安と期待で、落ち着かなかった。
新人同士で、新歓コンパの噂話をしていると、幹事の先輩がやって来た。
「おい、新人。お前ら、何、固まって座ってんだ。お前ら集ってたら、盛り上がらないから、ばらけて座ってくれ。奥のテーブルから、順番に、一人ずつ座ってもらうかな。はい、じゃあ、移動して」
幹事の先輩は、手を叩いて、僕らを移動させた。
僕が座った席には、男バスのマネージャーの夏子さんと小麻子さんが座っていた。とんでもない貧乏籤を引いてしまった。新人達で囁かれていた噂話では、小麻子さんが、最も酒癖が悪く、後輩を潰す鬼マネージャーとして、恐れられていたからだ。
あちらこちらのテーブルで、ビール瓶の蓋が開けられて、グラスに注がれ始めた。
目の前でも、小麻子さんが、テーブルの上にある４、５本のビール瓶を、手際良く全部開けてから、僕に瓶の口を向けた。
「はい、どうぞ」
『あっ、どうも、ありがとうございます』とグラスを、小麻子さんの持つビール瓶の口元に傾けた。
「ふーん、あんた、先輩に注いでもらうのに、片手でグラス持つんだ。いい度胸してるわね」
『あっ、すいません』
僕は、慌ててもう一方の手をグラスに添えて頭を下げた。
「まぁ、まぁ、小麻ちゃん。まだ、乾杯前なんだから、そんなに苛めなくてもいいしょや」
夏子さんが、なだめてくれた。
「なっちゃん、甘い、甘い。礼儀ってのは、最初に教えておかなねぇと駄目なんだ。最近の新人は礼儀がなってないからね」と、注ぎ終わったビール瓶を、ドンと音を立てて置いた。
僕は、泡立つ琥珀色のビールを眺めながら、「最初からこれじゃあ、先が思いやられるな」と暗澹たる気持ちになり溜息を漏らした。
茫然としてグラスの中を昇る泡の連なりを眺めていると、何やら、カタカタと音が聞こえた。
顔を上げると、小麻子さんが、不気味な笑みを浮かべながら、空のグラスをテーブルの上で、小刻みに動かしていた。
「あんたは、自分だけが注いで貰えば、それで良いんだ。ふーん」
『あっ、申し訳ないっす』
慌てて、テーブルの上にあったビール瓶を取って、小麻子さんのグラスに注いだ。
もし注ぎ過ぎて溢れてしまったら、何をされるか分かったもんじゃない。それだけは絶対にしちゃいけない。と心で呟きながら、少しずつビールを注いだ。
「ちょっと、あんた」
『はい。何だすか？』
「何だすか、じゃねぇんだろ。先輩に向かって、片手でビールを注ぐわけ？いい根性してるわね。私、さっき言わなかったっけ」
『あぁ、申し訳ねぇっす』と慌てて立ち膝になり、両手で瓶をもって注いだ。
「ちょっと、あんた。いい加減にしてよ」
『はい、何だすか？』
「何だすか、じゃねぇだと、全く。ラベルが下だよ」
『ラベルが下？だすか？』
ラベルが下だと言われても、何の事だかさっぱり分からなかった。
「先輩にビールを注ぐ時は、瓶のラベルを見えるようにして注ぐのが礼儀だろう。今、あんたが持ってるビール、ラベルが下向いてるよね」とビール瓶を、指でトントンと叩いた。
『申し訳ねっす。すいません』
ビール瓶を、180度回転させて、ラベルを上向きにして注いだ。
小麻子さんの噂に違わぬ”お局”振りには、乾杯をする前から辟易してしまった。
全員のグラスが満たされてから、幹事の先輩が、大座敷の中央に立って、大きな声で話した。
「えー、皆様。ビールは、全員のグラスに行き渡りましたでしょか？本日は、バスケット部の新歓コンパという事で、新人にはハッチャキこいて飲んでもらいたいと思います。それでは、キャプテンの富田さんから、乾杯の挨拶をお願いします」
上座に座っていた富田さんは、グラスを持って立ち上がった。
それに合わせて、皆がグラスを持って総立ちとなった。
僕の対面にいた小麻子さんは、瞳を輝かせて富田さんを眺めて、隣の夏子さんを巻き込んで、何やら小声でキャーキャーと浮かれながら、黄色い声援を送って
いた。さっきの僕への態度からの豹変振りに、目を疑ったと同時に、女らしい所がある事を知って、少し胸を撫で下ろした。
「今日は、男バス、女バス合同での新歓コンパと言う事で、男バスのキャプテンの私が、代表しまして、乾杯の挨拶をさせてもらいます。今年は、男子、女子と
もに、元気で生きの良い新人が、たくさん入部してきました。これからの活躍が大いに期待できると思います。また、今日の飲み会では、普段、話しにくい事も
無礼講ということで、是非、大いに飲み語らって、先輩と後輩の親睦を深めて欲しいと思います。それでは、乾杯！」
「乾杯！」と、全員が唱和して、グラスを合わせた。
僕は、ビールが苦手だったので、少し口を付けただけにした。しかし、先輩達は、勢いよくグラスのビールを飲み干した。
僕は、くそ苦いビールを、顔を顰めながら、何とか半分まで減らした。
先輩達は、空けたグラスを置いて、拍手を始めたので、僕も拍手をしなければと思って、グラスを置こうとした瞬間、小麻子さんと視線が合った。
口を真一文字に結んで、鋭い視線を僕に突き刺していた。このまま残してグラスを置いたら、また何か小言を言われると感じたので、残りのビールを一気に呷った。
それから、グラスを置いて、、先輩達と一緒に拍手した。
乾杯の後、直ぐに、小麻子さんに、ビールを注いだ。
両手で瓶を持ち、ラベルを上にして、慎重に注いだ。
「何とか、ビール注ぎの基本が、分かったみたいだね」
『はい、何とか…』
「誰のお蔭だと思ってるの？」
『それは、もう、小麻子さんのお蔭っすよ』と、心とは裏腹に丁重に頭を下げた。
「分かればいいのよ」 と、小麻子は上機嫌な表情で、ビールをグイグイ飲んだ。
料理に箸を付ける間もなく、新入部員の自己紹介が始まった。一番に指名されたのは、キャプテンの隣に座らせらた露渕だった。
幹事の先輩が、露渕の所に行って、自己紹介の仕方を教えていた。
それを見ていたキャプテンが、幹事の先輩に向かって、「口で説明してないで、お前が見本を見せろや」と命じた。 幹事の先輩は、左手にグラス、右手にビール瓶を持って、座敷の中央に行き、話した。
「えー、では、これから、恒例の新入部員の自己紹介を始めたいと思います」
座敷を埋める先輩達から、大きな拍手が起こった。
「先ずは、見本と言うことで、私が自己紹介しますんで、一年目は、確り見て真似して下さい」と言い終わるやいなや、グラスのビールを、一気に飲み干して、腹の底から振り絞るような大声を上げた。
「岩手県立、盛岡高校、しゅっしーん」
『ようー』と先輩達が唱和した。
すると、
『いわてー？』と言う声が湧き起こった。
それに合わせて、数人の先輩が、立ち上がった。
どうやら、岩手出身の人、全員が立ち上がっているようだった。
それから、グラスを高く掲げてから、乾杯してビールを空けた。
幹事の先輩は、持参したビール瓶から手酌でグラスにビールを注ぎ、再度、腹の底から声を張り上げた。
「理Ⅲ系、しゅっしーん」
それに皆が呼応して、
『りさんけーい？』と大唱和が響き渡ってから、また、１０人ほどの人が立ち上がり、乾杯した。
幹事の先輩は、再び自分でビールを注いで、声を張り上げた。
「獣医学部、しょぞくー」
『じゅーい？』と大唱和が響き、３人ほどの人が立ち上がり、乾杯した。
幹事の先輩は、５杯目のビールを飲んだ後、少し辛そうな表情で、続けて言った。
「ポジションは、センター」
『センター？』と、更なる大唱和が轟いた。
そして、背の高い大男、大女が、ずらずらと立ち並んで豪快にビールを呷った。
幹事の先輩は、大きな深呼吸を一つした後、最後の力を搾るかのように、両手を腰に当て、体を反らせて、声を響かせた。
「その名も、その名も、佐藤翔介」
『サトウ？』の大唱和と共に、５人くらいの佐藤さんが立ち上がって、グラスを掲げて飲み干した。
佐藤先輩が、７杯目のビールを飲み干すと、一斉に拍手が湧き起こった。彼は、少し顔を赤らめながら、大きく息を吐いてから、言った。
「今やった通りに、出身校、所属学部、ポジション、名前を順番に自己紹介してくれ。いいか、腹の底から声出せよ。聞こえなかったら、やり直しだからな。そっち側から順番に、やってくれ。じゃ、先ずは露渕から」
Crazyだ…自己紹介だけで、６杯もビールを飲まなくてはいけない…自己紹介が終る前に、つぶれてしまう。本当に、Crazyな自己紹介だ。
第５６章 終了
→ 第５７章 自己紹介 へ
→ このページのトップへ戻る
→ 前のページへ戻る
|
|