第５４章 遠距離恋愛の権利
注文したケーキと紅茶が運ばれて来た。
琴乃が注文したケーキは、苺、林檎、メロンなどの果実が載った、彩り豊なタルトケーキで、とっても美味しそうだった。
僕の注文したモンブランは、裏漉しした栗餡で覆われ、そこに白い粉砂糖が塗してあった。モン・ブランという名前の如く、雪化粧をした白い山のようだった。
ケーキを口に運んだ。仄かな甘みが口に広がる。うーん、幸せ。
モンブランを食べ崩していくと、山吹色の栗の甘露煮が、丸ごと出てきた。
フォークで栗を串刺しにして、丸ごと口に運んだ。
とろけるような栗の甘味が口いっぱいに広がる。うーん、至福の時。
琴乃のより先にケーキを食べ終った。
紅茶を啜りながら、タルトケーキを美味そうに口に運ぶ琴乃を眺めていると、不意に目が合った。
「私に顔に、何か付いてる？」
『いや、何も、』
「さっきから、私の顔をジロジロ見てたっしょ？」
『うん。すごく美味しそうに食べるなぁって感心してだんだ』
「なーんだ。私の美貌に見惚れてるのかなって思ったさ」
『あぁ、それも、あるかも…』
「タケミくんって、お世辞下手ね」
『ばれた？実は良く言われるんだ』
「馬鹿ねー、そこは否定してよ。そこで肯定したら、私に全く美貌がないみたいじゃない」
『そんた事はねぇよ。琴乃ちゃんは、かなりの美貌を持ってらよ』
「本当か？タケミくんの彼女よりも？」
琴乃は、見え見えのお世辞に対して、返す刀で一気に核心を突いてきた。
僕は、飲んでいた紅茶を吐き出しそうになり、その後、数秒間、言葉に詰まってしまった。
『うーん、うーん。どっちも美しいよ。甲乙は付けれねぇな』と答えつつも、内心では、洋子の方が可愛いに決まってるだろうと思っていた。
「ふーん、やっぱりね」
『何が？やっぱりなの？』
「やっぱり、彼女がいるのねって事さ。それで、その彼女は、何処にいるのさ？」
『東京さいる。大学生だ』
「へぇ、東京ねぇ。随分、遠いのね」
『んだな、遠いな』
「毎日、電話してるの？」
『毎日は、してねぇよ』
「ふーん、そんなもんか」
『だって、お互い一人暮らしで、電話代も馬鹿にならぇねし。遠距離は、なかなか大変だよ』
「大変なら、止めちゃえば？」
琴乃は、不敵な笑みを浮かべて僕を見つめ、フォークに突き刺していた苺をパクリと口に運んだ。
僕は、琴乃の強い眼差しから、視線を外の景色に逸らしながら言った。
『遠距離だがらって、そう簡単に、止めれる訳ねぇーべ』
「私は、遠距離だから止めてればって言った訳じゃないんだわ。大変だったら止めればってっていう意味で言ったんさ。本当に好きだったなら、遠距離なんか苦にならないっしょ？」
『それは、その通りだ。んでも、それは理想論だよ。琴乃ちゃんは、遠距離したことねぇがら、そんた風に言えるんだ』
「確かに、私は遠距離恋愛した事はないよ」
『んだがら、そう簡単に言えるんだよ。遠距離には、遠距離の苦労があるんだよ』
「遠距離恋愛の苦労ねぇ。したけど、どのくらいの距離から”遠距離”恋愛を名乗る権利があるのかな？」
『名乗る権利？』
僕は、首を傾げた。この子は、また変な事を言い出した…
『遠距離恋愛に、何の権利が必要なの？」
「当然、必要よ」と自信満々に頷いた。
『よく分からねぇばって、札幌と東京ぐらい離れでれば、遠距離恋愛っていう権利は十分あるんでねぇの？』
「そうね、日本列島の半分くらいの距離だもんね。タケミくんは、遠距離恋愛を名乗る権利はあるかもね。それぐらい遠ければ、距離を理由にして、会えないって言えるしね」
『別に、遠距離を理由にしてる訳ではねぇよ』と苛立って言った。
「会えない言い訳に、距離を使う権利。その権利を持った恋人達だけが、遠距離恋愛を標榜できるのよ。タケミくんも、そう思うしょ？」
琴乃は、僕の前言を軽く流したまま、質問をしてきた。
『んだな、そう思うよ。んでも、距離は言い訳でねぇくて、実際に遠いんだがら、仕方ねぇべ。毎日、飛行機さ乗って東京さ行けねぇんだがら。会いたいと思った時に会えねぇのはつらいよ』
「私だって、彼氏とは会いたい時に会えないさ」
『んでも、さっき、琴乃ちゃん、遠距離恋愛の経験はねぇって言ってだべ？』
「私の場合は、会えない理由は、遠距離じゃないのさ。私の彼氏、浪人中なんだわ。今年の大学受験、落ちちゃったんだ。まぁ、予備校も札幌だし、距離は近い
んだけどね。したけど、近くに住んでても、会いたい時に会えるわけじゃないんだ。高校の時から付き合ってるんだけど、彼氏のお家が病院を開業してて、是が
非でも医学部に入らなきゃいけないの。それに、私だけ現役で受かって、あっちは浪人しちゃったからさ、何だか、あっちも少し気まずいみたい」と言って、紅
茶を口にした。
『んでも、琴乃ちゃんは、会いたいんだべ？』
「そりゃ、会いたいさ。したけど、彼氏の都合が悪いのに、無理に会いたいって、我侭を言って彼氏を困らせたくもないしさ。ウダウダ考えても、埒が明かないってのは分かってるんだけど、いろいろ葛藤しちゃって、何だか、最近、疲れて来ちゃったさ」
『ちょっとぐらい会えないだけで、弱気にならねぇで、頑張れよ。近いんだから、お互い会おうと思えば会えるべ』
「私、そんなに頑張らないわよ。好きな気持ちよりも、大変だと思う気持ちが強くなったら、すぐ別れちゃうさ」
『えー、琴乃ちゃんって、随分、薄情なんだな』
「したって、大変だと思うってことは、その人への気持ちが萎えちゃったってことっしょ？そんな気持ちで付き合っていても、居たたまれないしさ。それなら、さっぱりと別れちゃった方が、良いと思うんだ。タケミくんも、そう思うっしょ？」
『そうは、思えねぇな。好きだったっていう気持ちが残ってれば、頑張って付き合った方が、良いど思うな』
「ふーん、恋愛は、そんなに強情にならなくても良いと思うけどなぁ、私は」
『別に、強情になって恋愛してる訳でねぇよ』
「そうかな？タケミくんの口振りからすると、私には、強情になっているようにそう聞こえるけどね」
琴乃は、テーブルの上に両肘を付き、両手をアーチ状に組んだ。そいて、組んだ手の上に、顎を乗っけて、ストレートに僕を見つめた。
「そんなに無理しないで、大変だったら別れちゃいなよ」
琴乃は、茶化したような、でも、半分、本気のような顔になって言った。
『心配は御無用。我には遠距離恋愛を名乗るだけの十分な権利があるからな』
「あら、そう来たかい。でも、その権利を使えば使うほど、二人の距離はさらに遠くなってしまうから、気を付けな」と、悪戯っ子のようににやけて言った。
僕は、琴乃の言葉の真意が、よく分からなかった。
『それって、どう言う意味？』
「さぁね。それは、自分で考えてみてよ」
琴乃は、にべもなく答えた。
「所でさ、タケミくんは、文学講読の次の時間は、今日みたいに、毎週、空いているんかい？」
『うん、空いでらよ』
「したら、来週も、ここで一緒にお茶しようよ」
『うん、いいよ』
「これで、紳士淑女協定成立ね」
『何、それ？』
「つまり、私たちはお互いに、彼氏、彼女がいる訳っしょ。したから、紳士淑女の関係を保ち易い間柄な訳さ」
『つまりそれは、お互い、男と女の関係にはならねぇ協定って意味？』
「まぁ、そういうことね。お腹が空いている人よりも、お腹がいっぱいの人の方が、他人の皿に乗ってる物を取らないっしょ。お互いに守るべきものがあれば、互いに領分は弁えるものよ。どう、紳士淑女協定に調印できる？」
琴乃は、親指の腹を、僕に向けてに翳した。
『オッケイ。調印します』
僕は、自分の親指の腹を、彼女の親指の腹に合わせた。
「これで、紳士淑女協定成立ね。したら、お愛想にしようか。今日は、私が誘ったから、私が出すね」
琴乃は、財布を出した。
『いや、それは困る。我が奢るよ』
僕は、慌てて、財布を出した。
「じゃあこうしよう。紳士淑女協定は、いつでもどこでも割り勘ということで」
『うん、分がった。んだば、割り勘で』
琴乃は、ケーキセットの代金を財布から抜き取り、僕に手渡した。
僕は、小鳥の木模型に刺さってある伝票を抜き取って、レジに向った。
喫茶店を出た僕と琴乃は、森の中の道を歩き、大学のメインストリートまで戻った。
「したら、タケミくん。私、腹ごなしに少し散歩したいから、したらね」
琴乃は、そう言って、手を振り、一人でスタスタと歩き去った。
僕は、自転車を取りに、体育館に戻った。
朝連でシュートを打つには、自前のバスケットボールが必要だが、僕はマイボールを持っていなかった。ちょうど、次の時間も講義がなかったので、札幌の街に買い物に、繰り出す事にした。
メインストリートを南に向かって、自転車を走らせ、クラーク館の奥にある抜け道を抜けて、自動車の往来の多い、北八通り出た。
信号機のボタンを押して、暫く待つと、信号が赤から青へと変った。
僕は、お目当てのスポーツ用品店がある大通公園に繰り出した。
第５４章 終了
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