第８６章　捨てる神あれば

「あのう、そこのおっきいお兄ちゃん」とシュウが呼ばれた。
　隣の席にいた家族連れの父親だった。
「もし良かったら、これ食わないかい？」と”イカ飯”の駅弁を差し出した。
　シュウは、満面の笑みを浮かべながら言った。
「ものすごく有り難いんですけど、本当に良いんですか？お代、払いますよ」
「なんもなんも、お金はいいんだ。せっかく買ったんだけどさ、子供達が余しちゃったんだわ。このまま、あめらせて投げることになっても労（いたわ）しいしな。それに、お兄さん、”イカ飯”を食べ損なって、なんまら落ち込んでたっしょ？」
「えっ、分かりましたか、何だか恥かしいっすね」
　シュウは、照れ笑いを浮かべて、頭を掻いた。そして、両手を差し出して、表彰状を受け取るかのような恭しさでイカ飯を受け取った。
「ごっつあんです。有り難くて、涙でそうっす」
「なんもなんも。そったに喜んでもらって俺も嬉しいし、イカも本望だべさ」と朗らかに笑ってから、片手に持っていた飲みかけの缶ビールを、グビグビっと飲んだ。
　シュウは、急に立ち上がり、荷棚に上げてあったリュック下ろした。そして、開け口に手を突っ込んで、魚の甘露煮のパック詰め取り出した。
「これ、酒のツマミに食べて下さい」と”イカ飯”を譲ってくれた人に差し出した。
「なんも、気使わないでよ。そういうつもりで、あげた訳でないんだから」
「お礼っつう程の物でもねぇですけど。俺の故郷の名物で、鯉の甘露煮なんっすよ。肴には、持って来いなんで。是非、食べて下さい」
「気持ちはありがたいけどね。それ貰ったら、兄ちゃんたちが食う分が無くなってしまうしょ」
「実家からいっぱい送られて来たんで大丈夫です。このリュックの中に、食い切れないぐらい、沢山入ってるもんで、気にしないで貰って下さい」
「そうかい。したら、ありがたく貰っとくかな」と鯉の甘露煮を受け取った。
「故郷の名物を、いっぱい送ってくれるなんて、兄ちゃんの両親は、あんたの事を心配してるんだべなぁ。所で、兄ちゃんたちは、学生さんかい？」
「はい、大学１年です」
「そうかい、新入生かい。して、出身は何処なんだい」
「長野です。今、帰省の途中なんすよ」
「長野とは、まぁ随分と遠い所から来たもんだねぇ。したら、飛行機で、パァーと帰った方が早いんじゃないかい？」
「そうすね、飛行機の方が早いんすけど、やっぱ高いんすよ。それに、途中で友達の家なんか寄りながら、いろんな所を旅しながら帰ろうかなって思って列車にしたんすよ」
「それは、羨ましい限りだ。良いなぁ、学生さんは、時間がたっぷりあってさぁ。俺なんか、大きい声じゃ言えないけれど、結婚してチビが２人も出来てからは、のんびり旅行なんて出来なくなってしまったからなぁ」と奥さんには、聞こえないようにシュウの耳元で小声で話した。
「そうっすか？でも、今日は、家族水入らずで、旅行なんじゃないんすか？」
「旅行って程のものでもないんだけどね」
「これから、何処に行かれるんすか？」
「今日は函館まで行って、明日は奥尻」
「奥尻っつうと、奥尻島ですか？」
「おぉ、その通りだ。兄ちゃん、長野から来たばっかりなのに、よく知ってるね。いやぁ、さすが大学生、学がある人は違うなぁ。大したもんだよ、ちょっと感心したよ」
「奥尻島には、一度言ってみたいなぁって思ってたんすよ。ウニが最高に美味いって話を、寮の先輩に聞いたもんで…」
「自慢じゃねぇけど、奥尻のウニは絶品だよ」
「やっぱり、そうっすか。じゃぁ、必ず行かなくっちゃなんねぇな。のう、タケ。今年の夏にでも行こうぜ」
『んだなぁ。どうするがなぁ…』と、お茶を濁すように答えた。
　 何故なら、僕はウニが大嫌いだからだ。あの独特の生臭さとベットリとした食感が如何しても許せない。醤油や山葵を付けたりして食べさせられたが、どうして もあの生臭さが鼻の奥から湧き上がり、美味いとは思えない。正直言って、あのウニに、高いお金を出して、有難そうに食べる人の気持ちが理解できなかった。
　しかも、そういう人に限って、「ウニは嫌いだ」と僕が言うと、「ウニを食べられないなんて可哀想に」と口先では同情を示しながらも、顔には有り有りと優越感を滲ませる。
　さて、僕のウニの好き嫌いは置いておいて、ウニ談義に盛り上がっている２人を目の前にして、水を差すような事は言えなかった。
「でも、今の季節だと奥尻島で何をするんですか？ウニもまだ早いし、海水浴も、早すぎますよね？」
「だから旅行でないっていたべや。今は、仕事の関係で森町に住んでるんだ。したけど、俺も兄ちゃんと同じで、童（わらし）方を連れで、これから実家に帰るんだわ」
「あっ、そうなんですか。実家が奥尻なんすか。てっきり遊びに行くとばっかり思ってました。でも、故郷が奥尻だなんて、羨ましいっすね」
「そうかい。そう言ってもらえると嬉しいけどな。まぁ、半分は遊びだけどな。嫁の実家が恵山って所でな」
「すいません、恵山ってどこら辺ですか？」
「恵山はねぇ、函館の奥の方だ。渡島半島って、ブーツみたいな形してるべ。その踵（かかと）の方だな」
「そうですが、函館の東の方ですね」
「そう、東の端だ。それで今日は、恵山から来る嫁の両親と函館で合流して、湯の川温泉で一泊するんだわ。それで、明日は、江差に行って、そっからフェリーで奥尻に行く予定なんだ。まぁ、帰省がてらの家族サービスだ」
「でも、それはそれで楽しそうっすね。いいなぁ、温泉入って、奥尻島か」
「俺の実家は、奥尻で漁師と民宿やってるんだ」
「えぇー、本当っすか。いいなぁ、じゃあ毎日、美味い魚とか、ウニとか、カニとか食い放題じゃないっすか。はぁー、想像したら涎（よだれ）が出てきた」と、口元を手の甲で拭った。
「はっはっは。兄ちゃん、面白いな。自慢じゃないけど、海産物は、新鮮でなまら美味いんだわ。兄ちゃんなら、１回食ったら病み付きになるだろうな。そうだ、夏休みになったら実家の民宿に遊びに来いよ。お袋に口利きして、安くしてもらうからさ」
「えぇー、まじっすか？すんげぇー嬉しいです。でも、本当に良いんですか？」
「おお、家に帰ったら、兄ちゃんの事を伝えておくよ。したから、兄ちゃんの名前教えてけれ」
「ヤスオ　シュウゴウです」
「ちょっと待ってな、手帳に書いとくから。この年なると聞いただけだと、直ぐ忘れてしまうんだよね。えーと、なに、ヤスオって言ったっけ？苗字は、鈴木って言ったけ？」
「いや鈴木じゃないっす。やすおは苗字です」
「あぁ、ヤスオは苗字なのかい。そうかそうか、随分、珍しい苗字じゃないかい。ちなみに、漢字はどう書くのかな？ちょっとここさ、書いてけれ」と手帳とペンを、シュウに手渡した。
【安尾秀郷、夏休みにウニ食べに行きます！】と、シュウは力強い筆跡で書き込んだ。
「そしらた、これが、俺の実家の民宿と電話番号な。」とメモ書きをシュウに手渡した。

　家族連れの父親との会話が終わってから、シュウは、ようやく、イカ飯の蓋を開けた。
　すると、後数分で大沼公園駅に到着しますという、車内放送が流れた。
「折角、これから食べようと思ったに…」
『どうする、着く前に一気にがついて食うが？』
「今すぐ食いたてぇのは山々だけんど、念願のイカ飯だからのう。出来れば、ゆっくり味わって食いたいから、駅に着いてからゆっくり食べるとするか」
　シュウは、蓋を一旦閉じて、リュックに仕舞い込んだ。
　僕らは、棚から荷物を降ろし、隣席の家族連れにお礼を述べた。
「イカ飯、どうもありがとうございました。僕ら、大沼公園で降りますんで」
「何だ、もう降りるんかい？長野に帰省するって言ってからさ、てっきり、函館までは一緒だと思ってたさ。イカ飯も食えなかったしょや」
「はい。でも、駅に降りてからゆっくり食べるんで大丈夫です」
「何だか、俺の長話に付き合せてしまってすまなかったな」
「そんなことないっすよ。お話出来て、とっても楽しかったっす」
「そうかい。そう行ってもらえると嬉しいどもさ」
「夏休みには、是非とも奥尻に遊びに行かせてもらいますんで」
「おう、兄ちゃんが来る時には、美味い魚たくさん用意して待ってるように、お袋に行っておくから、期待してで」
「今からもう、待ちきれないくらい楽しみっす。今日は、どうもありがとうございました。じゃ、失礼します」
　シュウは、大手を振って別れの挨拶をした。
　僕らはデッキで停車を待った。車窓に青い水面が広がったかと思うと、列車は速度をさらに落として、大沼公園駅に停車し、扉が開いた。

第８６章　終了

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