第７７章　作り笑い

「それで、タゲは、ゴールデンウィークは、直ぐに実家にけぇらねぇで、何日か札幌に残ってるつもりなのか？」
　シュウが、ゴールデンウィークの話題に戻した。
『実は、まだ、決めでねぇんだ。ヨッコが帰って来れねんだば、秋田さ直ぐ帰ってもなぁ、大してする事もねぇんだよなぁ…』
　僕は紅茶を一啜りした。微かな苦味と共に、爽やかな香りが喉から鼻へ漂っていった。
　
　シュウは、鼻をヒクヒクさせて珈琲の香を嗅いでから、フーフーっと冷ましてから、カップに唇を当てて、コーヒーを啜（すす）りながら聞いた。
「秋田にけぇるのは止める事にしただかい？」
『親さは、帰るって言ってらんだ。今さら、帰らねぇっては言えねぇよ』
「そんなの、適当な理由を付けて、言えばいいしょや」
　琴乃は、軽い調子で言った。
「琴乃、そりゃあ、駄目だに。俺らは、親の脛っかじりで大学来てるんだから、親に嘘付いてまで遊びまわるのは良くねぇだ。タゲ、実家にけぇらねんだったら、嘘こかねぇで、正直に言った方がいいぞ」
　シュウは、妙に力強く、そして、感慨深げに話した。
「別 に私は、親に嘘付けって言った訳じゃないさ。馬鹿正直に、親に向かって、彼女に会いたかったけど会えなくなった。でも、親には、そんなに会いたくないから 帰らないって言ったら、角が立つって言ってるのさ。正直に言った方が良いっていうシュウこそ、無責任なんじゃない？」
　琴乃は、憮然として言い返した。
「ちょっと待てよ。そんな馬鹿正直に言えって言ってる訳じゃねぇだよ。俺が言いたかったのは、親に嘘付いてまで、遊び回るのは良くねぇって事だ」
　シュウは、腕組みをして、諭すように言った。
「したら、親には何て言えば良いのさ？」
　琴乃は、正面切ってシュウを見据えた。
『まぁ、まぁ。二人とも、そんたにムキにならねくってもいいべ』
　僕は、２人の言い争いの中に割って入った。

　琴乃は、視線を外し、窓の景色を眺めて、何かを考えているようだった。
　裏の林では、青空を背にした木々が、軽やかに風に戦いでいた。
　琴乃は、しばらく外を眺めた後、ブナケーキを一口食べ、ミルクティーを一口飲んだ。それから、一つ溜息を洩らしてから、シュウを見て呟いた。
「ごめん。私、熱くなって言い過ぎたわ」　
「別に、気にしてねぇから大丈夫だ」
「私 ね、自分でも分かってるんだ。話しているうちに、段々と熱くなって喋っちゃうのよね。それで、”カー”っとなると、酷いことを平気で言っちゃったりするの よね。自分でも嫌になっちゃうくらい酷いことを言っちゃうの。自分でも分かってるんだけど、止められないのよね。タケミくん、止めてくれてありがとう。止 められてなかたったら、私、もっと酷いことを言ってしまってたかもしれないからさ」
　琴乃は、表情を鎮めながも、微笑んだ。
『何も、何も。我のことで、２人が言い争いになったんだがら、こっちこそ、申し訳ねぇよ』
「まぁ、人間、誰しも、自分が言っちまった事に対して、自己嫌悪になることはあるもんだ」
　シュウは、明るく言った。
『ゴールデンウィークは、帰省する事にするよ。そうすれば、親さ嘘付く必要もねぇし。ヨッコには会えねぇど思うばって。まぁ、寝正月ならぬ、寝ゴールデンウィークでもして、のんびり過ごすよ』
　僕は、自分の考えを整理しながら、ゆっくりと話した。
「そうか、秋田にけぇる事にしただかい」
　シュウは、顎に手を当てて、天井を眺めながら、何かを考えているようだった。
「ねぇ、シュウ。どうしたの？何、考えてるの？大丈夫？」
　琴乃が、シュウの視線の先に手を翳（かざ）して、手を振った。

　シュウは、フムフムと軽く頷いてから言った。
「タケは、電車で、けぇるんだろう？」
『んだ。札幌から函館乗換えで、青函トンネルを通って、青森経由で帰るよ』
「まだ、切符は取ってねぇよな？」
『うん、まだ取ってねぇよ。ゴールデンウィークの北海道はそんたに混まねぇって聞いでらし』
「そうね。確かに、札幌への上りの汽車は混まないかもしれないね。したけど、札幌から函館方面へ下る汽車は、若しかしたら、混むかもしれないんだわよ」と琴乃が言った。
　上りと下りの使い方が逆にも思ったが、札幌は、北海道の首都みたいなものだから、道産子の中では、その方が自然なんだろう。それに、そちらの方が、実情に合っているようにもに思えた。
『えー、本当？んだば、もう指定の切符は満席なんだが？』
「桜前線次第ね」
『桜？？？』
　僕は、琴乃の真意が計り兼ねた。
「そう、桜よ。春になると、花が一斉に咲いて一斉に散る、あの桜よ」
『田舎者の我だって、桜ぐらい知ってるよ』と不機嫌に言った。
「そ うよね、桜ぐらい子供だって知ってるわよね。ごめんなさい。ゴールデンウィークには、弘前や函館で桜が開花するから、その花見客と重なると、物凄く混雑す るのさ。したから、命運を握ってるのは、桜ってわけなんさ。したけど、指定席が満席でも、札幌発だからさ、早めにホームに行って並べば、自由席に座れると 思うけどね」
「切符の沙汰も桜次第って言う所か。それで、今年の桜前線の具合は、どうなんだろうな。札幌は、今の所、咲く気配すら感じられねぇけんどな」とシュウは、窓の外の景色を見ながら言った。
「札幌に桜が咲くのは、ゴールデンウィークが過ぎてからなんだわ。したから、桜の花暦がちょうど良く当たれば、内地に戻るあなた達は、連休中に内地で桜を見て、連休後には札幌で花を見て、二度も桜を楽しめるんじゃない。ちなみに、信州で桜が咲く時期はいつなの？」
「そうだなぁ。信州は、４月終わりぐらいかな。でも連休中には、散ってしまうだな。だから、ゴールデンウィークに帰省しても、もう終わってるかもな」
「そうか、それは残念ね。それで、タケミくん。秋田ではいつ咲くの？」
『んだなぁ。大体、ゴールデンウィーク中かな』
「したら、帰省した折には、ちょうど花見ができるわね」
「そうか、そりゃ、ちょうど良かっただに」
　シュウが、大きな声で、目を輝かせた。
「ちょっと、シュウ。何がちょうど良いのさ？あんたには関係ないっしょや」
　琴乃が、苦笑いをしながら突っ込みを入れた。
「所がどっこい、関係が、大ありなんだな、これが。タケ、もう１回聞くけど、電車の切符は、まだ買ってないんだよな？」
『うん、まだだ。んでも、今日、買いに行こうかなって思ってらんだ』
「えっ、今日？そりゃ、まずいな」
　シュウは、目を見開いて、大きな口をポカンと開けた。
　その間抜けな表情に、笑いが込み上げてきた。
「ちょっと、シュウ。あんた、その阿呆面、ちょっとお頭（つむ）が足りない人みたいよ」
　琴乃は、臆面もなく笑いを爆発させた。
　笑いの壺に入ったようで、腹を抱えたまま、暫く笑い続けた。
　シュウは、笑い転げる琴乃を見ながら、頭を掻いて、助けを求めるような表情で僕に尋ねた。
「実はさ、タケに聞きたい事があるんだ？」
『何？』と僕は、笑いを堪えて言った。
「フェリーで新潟へ行くのは止めたんだ。それで、電車に乗って、数日かけて、いろいろと観光しながら帰ろうって思ってるんだ。それで、もし良かったら秋田まで、一緒に電車に乗って行かねぇかい？」
『汽車でのんびり旅かぁ…良いね。１人で何時間も汽車に乗ってるのも退屈だがら、シュウも一緒にいるんだば、ありがてぇくらいだよ』
　僕は、シュウの提案に快く賛成した。。
「それは良かった。お願いついでに、もう１つお願いがあるんだけんど…」
『何？』
「途中で、タケん家で一泊させて貰って良いかな？」
『うん、全然、構わねぇよ』と二つ返事で承諾した。

「はっはーん、そういうことね。それで、さっきから、ちょうど良いだの、まずいだのって言ってたのかい。札幌から道南、そして、青函トンネルを抜けて東北への二人旅かぁ。楽しそうで良いんじゃない。いいなぁ。私も一緒に行きたいくらい」
　琴乃が、遠くを見るような瞳で話した。
「琴乃は、ゴールデンウィークはどうするんだ？」とシュウが尋ねた。
「何もないわ」と素っ気無く答えた。
「彼氏と、どっかに遊びにでも行かねぇのかい？」
「彼氏は、ゴールデンウィークから、東京の予備校に行っちゃうのさ」
『東京に行くの？んだば、琴乃ちゃんも、遠距離恋愛になってしまうな』と僕は言った。
　可哀想だなと思う気持ち半分、遠距離仲間が増えて嬉しい気持ちが半分だった。
「今までも、札幌にいても殆ど会えなかったからさ。別に、そんなに、寂しくなんかないんだ。ただ…」
　琴乃は、唇を噛んでから、言葉を続けた。
「た だね。あの人、医学部志望なんだわ。北海道の大学も受験するとは言ってたけど、内地の大学も何校か受験するつもりらしいの。もう一浪してるから贅沢言って られないのさ。したから、ゴールデンウィークに、東京に行ったきり、帰って来ないかもしれないんだわ。私、何だかそうなっちゃいそうな気がするんだ」
　琴乃は、視線を落として、スプーンでミルクティー掻き混ぜた。
「そっか、琴乃にとっては、寂しいゴールデンウィークになっちまうなぁ」とシュウが言った。
「別に～、寂しくなんかないさ。あの人が、札幌を留守にしてる間に、新しくいい人でも作っちゃおうかなぁ」
　琴乃は、強がりを言って、笑った。
　その笑顔は、僕が見た、初めて琴乃の作り笑いだった。

第７７章　終了

→　第７８章　投げるか、捨てるか、それが問題だ　へ　

　ご感想、ご意見を、メールでお寄せいただけると嬉しいです。
　お気軽にお送り下さい。
　office_asahina-satsuki-novel@sapporo.nifty.jp