第７６章　ライオン舌

　注文したケーキが、テーブルに運ばれてきた。
　樹木ケーキは、三つともそれぞれの樹木を象った円筒型のケーキだった。　
　シュウ の頼んだ白樺ケーキの生地は、年輪をイメージしたバームクーヘンで作られていた。側面には白幹のようにホワイトクリームが塗られいて、細長いチョコチップ で樹皮の点線状の裂け目までが描かれていた。そして、スペード型の白樺の葉を象った抹茶チョコが、皿の上に添えられていた。さらに、店員の説明に拠ると、 白樺の樹液から作ったシロップを使って、甘味付けをしたそうだ。

　琴乃の頼んだブナケーキの生地も、白樺ケーキと同様に、年輪をイメージ したバームクーヘンだったが、その中には小さなナッツの粒が散りばめられていた。側面には、灰褐色のクリームが塗られ白っぽい斑点が、シュガーパウダーで 描かれていた。そして、ブナの葉を象った萌黄色の練り菓子が、皿の上に楊枝と共に添えられていた。店員は、生地の中にある粒々は、ブナの実を砕いたものだ ということを教えてくれた。

　僕の頼んだスギケーキの生地も、切り株の年輪を想起させた。側面には、カカオクリームが塗られていて、薄く削られたチョコが貼り付けれらていた。上手に、スギの樹皮を象っていた。そして、トゲトゲしたスギの葉っぱに似せた飴細工が、添えられていた。
　お盆は、スギで作った朱塗りの曲げわっぱだった。朱色の丸い器に置かれているだけで、本来洋風であるはずのケーキさえも、雅な純日本的な物に見えるてしまうから不思議なものだ。
　店員に尋ねた所、曲げわっぱの本場、大館から取り寄せたということを耳にして、僕は嬉しくなった。
　
　店員は、一通りの説明をしてから、お辞儀をしてテーブルを立ち去った。
　それから、僕達は一斉に、スプーンを手に取って目の前に置かれた美味しい樹木を頬張った。
　スギケーキを口に入れると、ほろ苦く甘い味が舌に溶けて、カカオの香りが鼻腔を包んだ。
シュウも、満足気な表情を浮かべて、フォークを進めていた。シュウは大きな口をモグモグと動かしながら、白樺ケーキをガツガツ食べて数分後には平らげてしまった。
　対照的に、琴乃はゆっくりと、一口一口味わいながら食べていた。
　シュウは、ケーキをペロリと食べ終わってから、満ち足りた顔をして珈琲の湯気に鼻を翳して香りを楽しんでいた。
　琴乃が、その様子を見て小言を呟いた。
「あんた、ケーキは、ちゃんと味わって食べたの？」
「あぁ、ちゃんと味わって頂きましたよ。白樺シロップが、ケーキによーく染みてて、芳醇な味わいだったよ」
「芳醇って、あんた、酒じゃないんだから」
「まぁどっちにしろ、今まで味わった事のないような香立つ甘さが良かっただ。いやぁ、今日は朝から、こんなに美味いもが食えて、俺は幸せだな。もう一個食いたい所だけど、今日は我慢しておくかな」
　シュウは、チビチビと珈琲を啜った。
「ケーキは、一気に食べちゃったくせに、珈琲は、やけにゆっくり飲むのね？若しかして、テレビコマーシャルの違いの分かる男でも気取ってるつもり？」
「俺は、猫舌なんだよ」
　シュウは、唇の隙間から舌の先端をチラリと見せた。
「熊みたいな人が、猫舌だなんて、ちゃんちゃら可笑しいさ」
『んでも、シュウの場合は、猫舌っていうよりも、ライオン舌って言った方が、似合ってるんでねぇの？ビッグサイズだがらな』
　僕も、茶化した。
「お前ら２人して、言いたい放題だな。常日頃、熊だと言われ慣れてる俺だって、たまには心無い言葉で傷付く事もあるんだぜ」と顔を臥（ふ）した。
『シュウ、悪がった。俺らが言い過ぎた』
「何っちって。お前達が、あんまり、ちょんこ付いていたから、ちょっくら吃驚（びっくり）させようと思っただけだに。そんなことで一々、落ち込む俺ではありません。はっはっは」
　シュウは、大きな口を開けて笑った。

「だけんど、実は、ちいとばかし残念なことがあってよ」
　シュウは、一転して声の調子を落とした。
「どうしたんさ、残念なことって？」
「ゴールデンウィークになったら、速攻で新潟にいる蓉子に会いに行こうと思ってたんだ。だけんど、蓉子の方は、前半休みにバイトが入って、どうしても休めないらいしいんだ。何でも、人手が足りなくて、何とか出てくれって懇願されたらしいんだ。
『彼女は、何のバイトしてらの？』
「んー、何て言えばいいのかな。旅館バイトっつうのかな？」
『旅館バイト？そんたバイトもあるんだな』と首を傾げた。仕事の中身がうまく想像できなかった。
「蓉子ちゃんは、旅館でまかないでもやってるのかい？」と、琴乃が聞いた。
「まぁ、簡単に言っちまえば、そう言うことだな。旅館バイトっつう俺の言い方が悪かったかもしんねぇな。家の手伝いって言った方が分かり易いかな。彼女の実家が、長野で温泉旅館やってるんだ」
「温泉旅館、素敵じゃない。したら、将来は、女将さんかい？」
　琴乃は、興味津々な顔で言った。
「本人は、女将になりたくないって言ってるけんど…どうなるだろうな。俺からは何ともいえんな」
『長女なんだが？』
「いや、３人姉妹の一番下だ」
『姉さんが二人もいるんだば、女将には、らなねぇんでねぇの？』
「えー、詰まんないの。女将さんって、何か面白そうじゃない？和服を着てさ、従業員の皆を仕切ってさ、旅館を切り盛りしてる姿を想像しただけでも、ワクワクしちゃうわ」
　琴乃が、目を輝かせた。
「実際の女将の仕事は、大変らしいよ。それに、旅館のバイトも、朝から晩までこき使われるからやりたくないって言ってたよ。結構、重労働らしいんだ、これが。だから、女将にはなりたくないって言ってたよ」
「そうなんだ…何か、損した気分になっちゃったさ」
『損した気分？』
　僕は琴乃の言っている意味が飲み込めなかった。この娘は、また、おかしな事を言い始めた。
『蓉子ちゃんが、女将さんになっても、琴乃が得することは何もねぇように思うばってな。なして、琴乃が損するんだ？』と、疑問を投げ掛けた。
「そんなことないさ。私だけじゃなくて、タケミくんだって得すると思うよ」
『えっ、我が得するの？』と首を傾げた。
　琴乃の言ってることが、いよいよもって、全く理解出来なかった。
「タケが得するなら、俺も得するのか？」とシュウが尋ねた。
「んー、そうね。シュウは損するな」
「何だよ、俺は損するのかよ」
「でも、若しかしたら、得するかもね」
「どっちなんだよ」
「そうね。金銭的なことから言えば、損するほうかな」と琴乃は真剣な顔付きで言った。
　何だか、琴乃の言っていることがが陽炎のように思えてきた。真意を探って近付いて行っても、はぐらかされて、いつの間にか、また、遠くで揺曳している。
　僕は、まどろっこしくなってきて、単刀直入に質問した。
『何で損したり得したりするの？それを、教えてよ』
　琴乃は、ニヤリとして答えた。
「も し、蓉子ちゃんが女将になったとすると、当然、シュウが婿養子になって旅館の旦那になるっしょ。したら、友達の私達は、その温泉旅館には、何度でも安く泊 まれる訳さ。それで、私達は得をするのさ。シュウも、旅館の旦那になれば、温泉には、毎日ただ風呂で入れるから得をするんだけど、私達が遊びに行けば、友 達割引で安く泊めてあげなきゃいけないから、ちょっと損しちゃうかもね。私が、言ったのはそう言うことなんさ」
「アホか。そういうのを、取らぬ狸の皮算用っつうんだよ。蓉子が女将になりたくないって言ってるし、俺と蓉子が結婚するかも分からねぇだに」
　シュウが、呆れた顔で言った。
「したら、もし、シュウが、旅館の若旦那になったあかつきには、私達をただで泊めてね」
「おう、もし仮にそうなったとしたら、一週間でも二週間でも泊めてやるよ」と苦笑した。

「で も、蓉子ちゃんも可哀想ね。家業の手伝いで、ゴールデンウィークに、彼氏と会えないなんて。私の両親は、共働きで家業なんてなかったから、家業の手伝いっ てどんなものか良く知らないけどさ。掃除や炊事くらいは、ママに手伝ったけどさ、さすがに旅館業ともなると、客商売だし、大変よね」
『まぁ、旅館は、連休が書き入れ時だから、しょうがねぇんだけんどな』
　シュウは、自らに言い聞かせるように言った。
『んでも、彼女と会えねぇのは、ゴールデンウィークの数日だべ。まだいいよ。我なんて、若しかしたら１回も会えねぇかも知れねぇんだ』と力無く言った。
「タゲの彼女もバイトで忙しいのか？」と、シュウが聞いた。
『彼女の兄さんが病気して入院する事になったらしいんだ。んだがら、ゴールデンウィークは、母さんに同伴して、愛知の病院さ、行がねまねぐなったんだ』と事情を説明した。
「タケミ君さ、イガネマネグって何？」と琴乃が不思議そうな顔で聞いた。
『んーと、行がねまねぐなったっていうのは、行かなければならなくなったっていう意味だ』
「ふーん、そうんだ。タケミ君ってさ、時々、理解不能なしゃべり方するよね…」
　琴乃は、さらに何か言いたそうな素振りを見せたが、何も言わずに、言葉を飲み込むようにして、ティーカップを口に運んだ。
「いいじゃねーか、ちぃっとばかし言葉が違っててもさ。方言は、味があって良いと思うよ。のう、タゲ」
　シュウが、助け舟を出してくれた。
『我としては、方言を治しぇんだばってなぁ。なかなか、治らなねぇんだな、これが…』
　僕は、照れ隠しで笑いながら、紅茶を一啜りした。

第７６章　終了

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