第７５章　金蹴り

　喫茶店「リリー」への裏道を歩いた。
　錆びて潰れた空き缶が、道端に、泥に塗れた無惨な姿を晒していた。それを見ると、人間の浅はかを思い知らされているようで、心が痛かった。
　 この状況は、ここの道に限った事ではなかった。空き缶などのゴミは、冬の間は雪に隠されていて人目に付くことはない。しかし、雪が消えると、無残な姿を、 人々に見せつける。特に、人通りが疎らな森沿いの道は、酷い有様だ。一番目立つのは、雪が溶けてから草花が生えるまでの期間だ。さながら、ゴミの集団墓地 のようだ。
　僕には、人間に捨てられたゴミ達が、敢えて醜い姿を人間に見せ付けて嫌悪感を抱かせる事で、復讐しているように思えた。

「リリー」の庭は、日当たりが良く、タンポポなどの若草が顔を覗かせていた。黒塗りのログハウスは、背後に風に戦ぐ木々を抱き、どっしりと構えていた。風格があるというのは、こう云う建物の事を言うのだろうなと思った。
　琴乃が、先陣を切ってドアを開けると、呼鈴がカランコロンっと可愛らしい音を立てた。
　店内には、数人の客がいるだけだった。
　僕らは、窓辺の四角いテーブル席に座った。僕とシュウは隣り合って座り、琴乃は向き合いの席に座った。僕が窓際の席が好きな事を知っているシュウは、僕を先に通して窓際に座らせてくれた。
　琴乃は、メニューを手に取り、僕らが読みやすい向きにして、テーブルに置いてくれた。
　僕は、シュウが、絶対に白樺ケーキを注文する踏んでいたが、敢えて触れずにメニューを見た。案の定、樹木ケーキのページになると、
「おーっ、白樺ケーキってのがあるぞ」と歓声を挙げた。
　それを見た、琴乃が、口に手を当てて、クスクスと笑い出した。
「思った通りね。必ずシュウは、白樺ケーキに食い付いてくると思っわ。したけど、余りにも予想通りの行動をしたから、可笑しくなっちゃたさ」
　シュウに言いたかった事を、琴乃に先に言われてれてしまった。
　最後の楽しみに残しておいたショートケーキの苺を、横取りされた気分だった。
「だってさ、白樺ケーキなんて書いてあれば、誰だって興味を示すに決まってるだよ。俺は、生まれてこの方、白樺ケーキなんて聞いたことも食ったこともねぇだよ」
「うん、そうね。確かに珍しいよね。私もここ以外では、見たことないわ。ちなみに、私も樹木ケーキは注文した事ないから、どんなケーキかは分からないわ。結構、変なの出てくるかもよ。勇気いるわよ」
　琴乃は、挑発的な言い方をした。
「そのぐらいの勇気なら、腐るほど持ってるだ。つう訳で、俺は白樺ケーキで決まりだ。セットで、コーヒーも頼もうかな。種類は、うーん、マンデリンにするか。それで、当然、琴乃も勇気を持ち合わせてるよな？」
「えっ、勇気って何の勇気？」
「何だよ、人には嗾（けしか）けておいて、自分は安牌（アンパイ）かよ。まさかそんなことする訳ないよな？」
「分かったわよ。そこまで言われたら、私も樹木ケーキで行くわよ。七竈（ななかまど）と言いたい所だけど、確かメニューにはなかったかな？」
『残念ながら、メニューには七竈の名前は載ってねぇな』
「そっか、じゃ、どうしよっかな？」
　琴乃は、テーブルに身を乗り出して、メニューを覗き込んだ。
「したら、ブナケーキにしよっと。紅茶をセットにして、アッサムのミルクティーにしようっと」
　琴乃は、あっさりと決めてから、メニューから目線を上げて僕を見つめた。
「それで、タケミ君は、何の樹木ケーキするの？」
『えっ、樹木ケーキ？』と言った後、言葉に詰まってしまった。
　僕は、ティラミスを注文するつもりだった。
「まさか、一人だけ冒険しないつもりじゃないしょ？旅は道連れよ」
　琴乃が、悪戯っ子のような顔をしてニンマリとした。

　僕は、樹木ケーキのメニューを眺めた。白樺、ブナ以外で残っていたのは、ハリギリ、モミジ、スズカケ、スギの４種類だった。ハリギリとスズカケというのは、どういうの木なのか、さっぱり見当も付かなかったので、スギかモミジのどちらかにしようと思ったが、決めあぐねた。
「さぁて、どっちかな、タケミ君？」
　琴乃が、やんわりと急かした。
『んだば、スギのケーキにするがな。紅茶セットで、ダージリンで』
　僕は、正直、ぐだぐだと考えているのが面倒臭くなったので、馴染みのあるスギの方にした。
　
　注文を取りに来た店員は、先週来た時と同じく、２０歳くらいの女性だった。
　後ろ髪をアップで結わえて、可愛らしい耳にはシルバーのイヤリングが揺れていた。その爽やか髪形とすっきりとした目鼻立ちが、彼女を、一層、清潔感溢れる存在にしていた。
　シュウは、注文を伝えようとして、テーブルの横に立っている彼女を見上げた。すると、ポカンと口を開けて、彼女に釘付けになっていた。
「あのう、ご注文を伺っても宜しいかったでしょうか？」と店員が首を傾げた。
「あっ、すいません」とシュウは我に帰った。
「えーと、あれ、何だっけな？」
　シュウは、慌ててメニューを見直してから、３人の注文を告げた。
「ブナケーキにアッサムのミルクティーと、スギケーキにダージリン。そして、白樺ケーキにマンデリンですね。以上、３つのケーキセットで宜しかったですね」
　彼女が、注文を確認した。
　シュウは、また、ポケーっと彼女を見つめていた。
「あのー、まだ、ご注文はありましたでしょうか？」
「いえっ、もうないです」とシュウは、首を振った。
　彼女がテーブルから去ってから、僕は肘で軽くシュウの横腹を突っ突いて、彼の耳元で囁いた。
『シュウ、どうした。何だが、ボケっとしてるよ』
「いやぁー、今の娘、可愛かったな。思わず見惚れちまっただよ。ありゃ、札幌に来て見た中で一番の別嬪（べっぴん）さんだな。いやぁ、ありゃ良い女だ」とニヤ付きながら、僕の耳元で囁いた。
『確かに、清楚な感じがして、めんこいな』
「あぁ、堪らないな」
　僕らが、囁きあっていると、琴乃がトントンと指先でテーブルを叩いた。
「ちょっと、そこのお二人さん。そこで、何、コソコソやってる訳さ？」
「いや、大した事じゃねぇんだ。今日の午後の講義で発表しなきゃいけねぇ課題があってさ、それで、ちいっとばかし二人で話をしてたんだ。のう、タケ。そうだよな？」
『んだ。午後の図学について話をしてだんだ』と辻褄を合わせた。
「二人とも、嘘が下手ね。悪いけど、私は地獄耳なのさ。２人の講義の話は、ちゃんとこの耳に届いてましたからね」と耳朶（みみたぶ）を摘まんでみせた。
「二人とも彼女がいるのに、好奇心旺盛でご活発ですこと。これだから男って、油断ならないのよね。ヨウコちゃんが、隣に居たら、間違いなく太腿当たりを、ギューッて抓（つね）られてたわね」
「別に取って食おうって訳じゃあるめぇし、見るぐらいいいじゃねぇか。のう、タケもそう思うだろう」
『んだな、そう思うよ。可愛い娘に目を奪われるのは、仕方ねぇよ。女だって、格好良い男を見れば、キャーキャー騒いでるしな』
　シュウと僕は、共同戦線を張った。しかし、ヨウコという言葉を耳にした僕は、内心、身の縮まる思いだった。
「そ うね、この世に男と女がいる限り、それは永遠に続くんだろうね。でも、もし彼女が隣にいた時は、どんなに美しい女性が目に映ろうとも、気を奪われちゃ駄目 よ。まぁ、本心では見たいと思っても、自制して、気のない振りをする事ね。それは、彼女の為でもあるし、あなたたちの為でもあるわ」
「俺らの為でもあるっつうのは、どういう訳だい？」とシュウが尋ねた。。
「もし私の彼氏が、私の前で、さっきのシュウのような振る舞いをしたら、抓られるだけじゃすまないわね。まぁ、ビンタか金蹴りを、喰らう事になるわね」
　琴乃は、不敵な笑みを浮かべて、僕らを見据えた。
　僕とシュウは、玉が竦（すく）む思いで、苦笑いした。

第７５章　終了

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