第６７章　カレーとメロンパン

　カレー屋の前まで来ると、香ばしいカレーの匂いがした。
　１階は満席だったので、僕らは２階の席に通された。店員から渡されたメニューは分厚く、沢山の種類のカレーが書かれていた。
　カレーの名前には全て、クジラやイルカの名前が付けられていた。しかし、名前が付いているからと言って、そのクジラの肉が入っている訳ではない。
　先輩達に連れてこられた時には、メニューを選ぶ権利が剥奪されていたので、気付かなかったが、北鯨のメニューは、変だった。
「クジラやイルカの写真は載ってるけどさぁ、肝心のカレーの写真が載ってないね」と逸見が首を捻った。
「本当だ、何じゃこれ」と板垣も相槌を打った。
　逸見が、近くにいた店員を呼んで聞いた。
「ちょっと、すいません。このメニューに実際のカレーの写真がないんだけど、どうして？」
「うちのカレーは、数日間、煮込みつづける熟成するピュアカレーなんですよ。具がルーの中に溶け込んでトロトロになっているんで、お皿に盛っちゃうと、殆 ど見分けが付かないんですよ。それで、実際のカレーじゃなくって、クジラの写真を載っけてるんですよ。カレーの種類はですね、写真の横に説明してあります ので、そこを読んで、決めて下さい」
「なるほど…ありがとう」
　逸見は礼を言ったが、少し釈然としない顔をしていた。

　板垣と逸見は、大辛のビーフカレーのザトウクジラを、大盛りで頼んだ。
　露渕は、中辛のザンギカレーのセミクジラを、大盛りで頼んでから
「ちょっとトイレ行ってくるわ」と言ってから席を立った。

　僕は、しばらくメニューと、にらめっ子して、迷ったあげく、甘辛のチキンカレーのコセミクジラを並み盛で頼んでから、呟いた。
『みんな、良くそんたに食えるなぁ』
「タケは、そんな小食だから、筋肉がつかねぇんだよ。キャプテンも言ってたろう、たくさん食べるのも、バスケの練習の一環だって。今日だって、ウエイトやったんだから、ちゃんと食べないと、実にならないぞ」
　逸見が苦言を呈した。
『それは、分がるんだばって、新歓コンパの３日酔いのせいで、まだ、胃の調子が悪りぃんだ』
「阿呆みたいに飲んでたもんなぁ。それにしても、タケは一気飲み早かったなぁ。あんなに、いっぱい飲めるんなら、いっぱい食えるんじゃないの？」
　板垣が皮肉を言って笑った。
『飲むのと食うのは違うんだ。それに、あの時は、世にも恐ろしい小麻子さんの隣に座ってしまったがら飲まされたんだ』
「確かに、メロンパンは、恐ろしかったなぁ。女の先輩で、一番、極（ごく）かったな」と逸見が頷いた。
『あのー、メロンパン？ってのは小麻子さんの事？』と僕は尋ねた。
「そうさ、ここに、２つ、でっかいメロンパン入れてるだろう」
　逸見は、両手で胸を強調するジェッシャーをした。
『なるほど、そういう事か…』
　僕は、頷いて、小麻子さんの豊かな胸の膨らみを思い出したが、それは直ぐに、眉間に皺を寄せて睨み付ける彼女の顔を思い出した。
　それと同時に、吐く時の気持ち悪さが甦ってきた。
　それから、瓶ビール一気の引き金となった、逸見と板垣の言動というか、酔っ払い漫才を、思い出した。
『そうだ、思い出したよ。お前んど２人が、小麻子さんさ、変なこと言うがら、とばっちり食って、瓶ビール一気させられだべ。あれでとどめ刺されて、潰れだんだ』と僕は文句を言った。
「ちょっち待ってよ。人のせいにしてもらっちゃ困るな。瓶ビール一気させられたのは、タケが、メロンパンに、巨乳揉ませろなんて言うからだよ」と逸見が言った。
『馬鹿たれ、そんたら恐ろしい事を、言う訳ねぇべ』と僕は本気になって怒鳴った。
「イッツ。巨乳って言ったのは俺だよ。揉ませろとは言ってないけど…まぁ、あれは、ちょっと酔っ払って調子に乗り過ぎたな。今日は、練習で小麻子さんに顔合わせるのが、すごく気まずくてさ。なるべく目をあわせないようにしてたんだよ」
　板垣が、頭を掻（か）いて弁明した。
「あれっ、巨乳って言ったのは、板垣だっけ？タケ、ごめん。あの時は俺も、かなり酔っ払ってて、記憶が曖昧でさ…」と逸見が謝った。
『何も、いいよ。我も、人のこと言えねぇがら…』
「まぁ、メロンパンには、痛い目にあったけどさ、板垣と俺との漫才は、上出来だったろう？」
　逸見が、得意げに言った。
『んだな。あれは、最高だったよ。笑いを堪（こら）えるが大変だった。それにしても、メロンパンってのは、わったり上手い綽名（あだな）だな』と三人で爆笑した。

　露渕がトイレから戻ってきた。
「随分と盛り上がってるね。所で、そのメロンパンって何の事だい？」
「メロンパンって言ったら、こま…」
　逸見が、そう言い掛けた所で、僕は、窓際の席に座っている女性の後ろ姿が、小麻子さんに似ていることに気が付いたので、慌てて彼の口に、手で蓋をした。
「ちょっと、何すんだよ、タケ」
『ちょっと、あの人、見でみれ』
　僕は、逸見に囁いてから、小麻子さん似の女性を指差した。
「全く、何だってんだよ？」
　逸見が、面倒くさそうに振り返って、その女性を見た。
『どう？小麻子さんに、似てねぇが？』
「確かに似てるなぁ…でも、いい年した女性が、こんな店に、一人で晩飯を食べに来るかなぁ？」
「イッツ、ちょっと探（さぐ）ってこいよ」
　板垣が、逸見の脇腹を指先でつっ突いた。
「えー、俺がかよ？嫌だよ、面倒くせい、お前が行けよ」
「俺だって嫌だよ。それじゃ、第一発見者のタケに行ってもらおうか。じゃ、タケ、頼むわ」
『えぇ～、我だって、それはお役御免だよ』と僕は首を振った。
「じゃ、ツユしかいないな。ツユは、小麻子さんに目を付けられてないから、大丈夫だよ。ツユ、ちょっと頼むよ、チラッと見てきてよ」
　逸見が、手を合わせて露渕に懇願すると、
「しょうがねぇな。あそこに座ってる人が、小麻子さんかどうか見てくれば良いんだろう。じゃ、外の景色でも見る振りをして確認してくるよ。でも、別に小麻子さんが、ここに居てもいいんじゃない。若しかしたら、カレーを奢ってくれるかもよ」

　露渕は、席を立って小麻子似の女性の方に歩いて行った。
　窓の外を眺めて、何か探すような素振りを見せてから、席に戻ってきた。
「残念ながら、小麻子さんじゃなかったよ」
『はー、良かった。』と僕は胸を撫で下ろした。
「良かったじゃねよ。全く、驚かせやがって。冷や汗かいてしまったじゃねぇかよ」
　逸見は、額を手の甲で拭った。
『後ろ姿が、そっくりだったんだもん。それに、壁に耳あり障子に目ありって言うべ。もし、聞かれたら、とんでもねぇ事にになってしまうべ』
「どうして、そんなに怯えてるの？小麻子さんが、ここに居たらまずいのか？」
　露渕だけが、状況を飲み込めていなかった。
「まぁ、居るだけなら良いんだけれど、俺らの話を聞かれると、かなりまずいんだよ」
　逸見が、真面目な顔して言った。
「それは、さっきのメロンパンと関係があるのか？」
「そう、その通り。何だ、ちゃんと分かってるじゃねぇか」
「でも、どうして小麻子さんがメロンパンなんだ？そんなに、あの人は、メロンパンが好きなの？」
　露渕は、不思議そうな瞳で逸見を見た。
「そうじゃないんだ。つまりは…」
　ニヤケた表情をした逸見が、板垣と顔を見合わせた。
「つまりは、こういうことだよ」
　板垣は、両手で自分の胸を鷲掴みにするようなジェッシャーをしてから、胸の膨らみを強調した。
「なるほどね。それで、メロンパンって言ってたのか。じゃあ、板垣は、結構、小麻子さんの事を気に入っているんじゃない？」と露渕が、ニヤけて質問した。
「俺が、どうしてさ？」
「２次会で先輩達を前にして、自分は巨乳が大好きだーって、絶叫していただろう。男バスには、かなり受けてたけど、女バスは、かなり引いてたぜ…」
「マジで。俺、そんなこと言ってた？やべーな、２次会の事は殆ど、覚えてねぇや」と板垣は頭を抱えた。
『なるほど、それでわざわざ、１次会の時に、小麻子さんの所に乾杯に来たんだな。そう言えば、あの時、板垣はすごく嬉しそうだったもんな』と僕は頷いた。
「おい、おい。タケまで、そんな事言わないでよ…」
「思い出したよ。小麻子さんいるテーブルに行こうって言い出したのは、板垣だったな」
　逸見も加勢して、板垣は四面楚歌の状況となった。

「ちょっと、みんなして、苛めないでよ。俺は、トウコさんの所に乾杯にし行こうとは言ったけど、小麻子さんの所に行こうって言ってないよ…」
　板垣は、困り顔で、力なく反論した。
「でもまぁ、飲み会で、あれだけ胸元の開いた服を着て、谷間を見せ付けられたら、板垣じゃなくても目を惹かれてしまうぜ。正直言って、俺もそうだったしな。あれは、将にメロンパンだわ」と逸見が言った。
『確かにあの胸さは自然と目が行ってしまうな…あの時は、マジマジと見れば、絶対に因縁つけられて、飲まされると思ったがら、なるべく、見ねぇようにしてだんだ』と僕も共感した。
「何だよ、いろいろと俺に突っ込んだ割に、皆も、そう思ってたんじゃねぇか」
　板垣は、僕らを指差して言った。
『板垣が、小麻子さんに向かって、バスケ部一番の巨乳って言ったのは、びっくりしたばって、内心、俺もそう思ってだよ』
「酔っ払っていたとはいえ、小麻子さんに、あそこまでストレートに言ったのは、板垣ぐらいのもんだよ。俺は正直、隣で聞いてて、かなり焦ってたぜ」と逸見が言った。
『逸見は、ハラハラしてたようには、見えねがったな。十二分に楽しんでるように見えだよ』
「いやー、ハラハラだったよ。俺も何とか、フォローしてやろうと思って言ったのにも関わらず、板垣が、小麻子さんは中トロだのブリだのって暴言吐くしさ、挙句の果てに、”バスケ部一番の巨乳”だろう。もうアンストッパブルだったよ」
　逸見は、お手上げのジェッシャーをした。
「精一杯に褒めたつもりだったんだけどな…」と板垣は納得のいかないような表情をした。
「１次会でそんな事があったなんて知らなかったな。俺も、その場面を見たかったよ」
　露渕が腹を抱えて笑った。

「それはそうと、ツユの方こそ、どうだったんだよ」
　板垣が、爆笑中の露渕に言った。
「どうだった、って言うと？」
「しらばっくれなくてもいいじゃん。１次会の時も、２次会の時も、夏子さんと、いい感じで飲んでただろう。俺は、ちゃんと見てたぜ」
『そういえば、夏子さんに、ツユに彼女がいるかどうかって聞かれたな…』と僕も合いの手を打った。
「お前ら、自分の事はあんまり覚えてないくせに、他人のことはよくみてんだなぁ」
「まぁね。俺は、そう言う所だけは、確りしてんだよ。それで、どうなんだよ、この色男。言っちゃいなさい」
　板垣が茶目っ気たっぷりに問い詰めた。
「まぁ、いろんなことを話できて、楽しかったよ。一応、今度、デート行くことになったんだ」
「マジで、いいな。どっちから誘ったんだよ」
「まぁ、あっちの方からかな」
「くわぁー、羨ましいなぁ。あっちの方からだってよ。それにしても、夏子さんも中々のやり手だな。一見、清楚でお嬢様っぽいのに、積極的だね」
　板垣は、妙に感心したふうに言った。
「まぁ、自分で言うのも何だけど、夏子さんは、結構、俺の好みのタイプだしな」
「ツユは、手が早いなぁ。彼女と別れてまだ、１ヶ月ぐらいだろう。バスケに恋愛も、美味しい所を持って行くね。露渕さまには、敵（かな）いませんねぇ」
　板垣は、口惜しそうに首を振った。
「いやいや、板垣にだって、小麻子さんという人が、いるじゃないか」
　露渕は、からかうように言ったが、板垣は真剣な顔で答えた。
「小麻子さんね。正直言って、あの人は、顔だって、そこそこ可愛いし、ちょっとポッチャリ系だけど、脱いだら凄そうだしな。本当の事をいうと、そういう下心もあって、乾杯しに行ったよ。ただ、あの酒癖の悪さがなぁ」
「おぉ、その言い方だと、結構、満更でもなさそうだな」と逸見が茶々を入れた。
「俺の好みのド真中じゃあないけど、ストライクゾーンではあるな」
「マジかよ。俺は、あんな気の強い女は駄目だな」と逸見が言った。
　新歓コンパの話で盛り上がっていると、注文したカレーが出てきた。
　僕らは、テーブルに所狭しと置かれたカレーに、スプーンを走らせて食べた。
　
第６８章　終了

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