第６４章　故郷は好きか？

　数学の講義が終わってから、シュウ、筑紫、長沼と一緒に、昼食を食べに行ったが、食堂の混雑は、相変わらずだった。
　三日酔いのせいで、胃腸の調子が芳（かんば）しくなかったので、消化の良い饂飩（うどん）を注文した。お膳を持ってテーブルに付くと、３人は席にいて、食べ始めていた。
　シュウは、大盛りピュアカレーを豪快に口に運んでいた。
　筑紫は、牛トロ丼だった。醤油を垂らしてから、牛トロ、切り葱、海苔を、混ぜこぜに掻き回していた。
　長沼は、コーンバターラーメンを、美味しそうな音を立てて啜（すす）っていた。

「今週末から、ゴールデンウィーク始まるね。皆は、どうする予定なんだ？」
　長沼が、ラーメンをフーフーしながら、言った。
「俺は、長野の実家に帰るだ」とシュウが答えた。
『我も、秋田さ帰省するつもりだ』と僕も答えた。
「何だよ、二人とも、札幌から居なくなっちゃうのかよ。つまんねぇの。それで、長沼はどうするんだ？」
「僕は、温泉旅行に行く予定だよ
『何処の温泉さ？』
「近場なんだけどさ、ニセコ、洞爺湖、登別の温泉を巡ってくるんだ」
「若しかして。まさか、お前、彼女が出来たのか？」と筑紫が身を乗り出して尋ねた。
「まぁね」
「マジかよ。じゃぁ、コレなしは俺だけか…」と筑紫は小指を立てて、僕らを見回した。
「何てね。本当は、彼女じゃなくて、家族と一緒に行くんだ。家族３人で旅行に出かけるのって何年ぶりだろうな？」
「せっかくのゴールデンウィークなんだからさ、道外とか海外に行けば良いだに」
　シュウが、カレーを食べながら、口をモゴモゴさせながら言った。
「僕は、海外は行った事ないし、道外にも修学旅行以外で行ったきりなんだ。したけど、僕は、北海道でいいよ。北海道が好きなんさ」
『ふーん、長沼は、故郷が好ぎなんだな』と僕は呟（つぶ）いた。
「タケは、故郷が好きじゃないのかい？」
　長沼に、そう言われて、ドキッとした。
　故郷が好きかと聞かれても、迷いなく好きだとは言えない。
　家族から離れて、一人暮らしが出来る事は、この上なく嬉しかったし、故郷を離れる際にも、感傷的な気持ちは微塵も出てこなかった。ホームシックもなく、大学生活を、伸び伸びと謳歌できている。
　正直な所、洋子と会う予定さえなければ、帰省せずに、札幌に残っていたかった。
『故郷（ふるさと）は、まぁ、嫌いではねぇけどな…』と言葉を濁してから、シュウに話を振った。
『シュウはどうだ？』
「俺は、好きだよ。元々、地元の大学に行こうと思ってたくらいだからさ。ゴールデンウィーク帰るが楽しみだに」とシュウは満面の笑みを見せた。
　僕は、故郷を誇らしげに語れる２人がとても羨ましく思えた。

「３人とも楽しめていいねぇ。まぁ、何れにせよ、長沼に彼女が出来た訳じゃなくて安心したぜ。一瞬、俺だけ、ロンリーボーイに取り残されたかと思って、焦っちゃったぜ」と筑紫は言って、歯茎に挟まった海苔を取ろうと、爪楊枝を動かしていた。
「ロンリーボーイ？筑紫、もう２０歳過ぎてるっしょ。今さら、ボーイっていう年でもないんでないの？」と長沼が突っ込んだ。
「俺は、幾ら年を食っても、心は永遠の少年なんだよ」と筑紫が強がった。
「ちなみに、僕のビジョンでは、夏休み前には、彼女が出来て、楽しいサマーバケーションを過ごす予定なんさ。ロンリーボーイとも、おさらばさ。まぁ、何れにしても、筑紫よりも先に彼女ができるのは間違いないね」
「ハイハイ、分かりました。それは、良かったですね～。もてない男の戯言（ざれごと）は、横に置いておいてと…」と筑紫が突っ込んだ。
「ちょっと、待ってよ。もてないのは、お互い様だべや」
「いやいや、そんなことはないよ。俺は、華々しく大学デビューを飾る予定だから」
「したら、どっちが早く、彼女が出来るか勝負だ」
「おお、良いだろう。望む所だ」と筑紫が、小指を突き出した。
　長沼が小指を絡めて、至近距離でガンを付け合って、指きりげんまんをした。

　僕は、２人の意地の張り合いを横目にして、シュウに尋ねた。
『長野さ帰省するって事は、彼女さは逢わねぇの？』
「蓉子（ようこ）と逢うよ。小樽からフェリーで新潟に行って、新潟で彼女と数日過ごしてから、一緒に長野に戻る予定なんだ」
『そっか、シュウの彼女、新潟にいるんだもんな。それにしても、飛行機でねくって、フェリーで帰るんだな？』
「うん、時間は掛かるけんど、やっぱり一番安いからな。貧乏学生に飛行機の往復は厳しいよ。それで、タケはどうすんの？」
『彼女も東京から帰ってくるから、ゴールデンウィークは地元で一緒に過ごす予定なんだ』
「良いですなぁ。彼女がいる人達は、色々と予定があって」と筑紫が、ぼやいた。
『んで、筑紫はどうするんだ？』
「俺は、一人寂しく札幌で、バイトに精を出しているよ。でも、夏休みには、いかす車を買って、可愛い彼女を助手席に乗せて、北海道をドライブしてやるぜ。そのためにも、今は、臥薪嘗胆（がしんしょうたん）だ」
　筑紫は、腕を組みながら、自分自身を納得させるかのように何度も頷（うなづ）いた。

「さーて、所で、今日のロシア語の小テストは、ばっちしかい？」と長沼が言った。
『あっ、勉強、全然やってねぇや。１００パー忘れてた』と僕は頭を抱えた。
「タケが、やってないなんて珍しいね。毎回、ちゃんと勉強して来るのに」
『週末は、二日酔いで、ずっと寝てたんだ』
「道理でな。何だか、今日は元気がねぇと思ってたんだ。新歓コンパで、いっぱい飲まされちまったかい？」
　シュウは、そう言って、コップの水を一気に飲んだ。
　僕は、彼のその仕草を見ただけで、新歓コンパでの一気飲みを思い出して、胸元に気持ち悪さを覚えた。
『んだ。隣さ座った先輩が、鬼みたいに飲ませる人だったんだ』
「それは、大変だったに。実はさ、俺も先週の土曜に、サークルの新歓があったんだ」
『んだば、シュウも潰れるまで飲まされだんだが？』
「凄く飲まされたけんどな。俺は、潰れはしなかっただよ」
『シュウは、しこたま酒強ぇな。笊（ザル）だな』と僕は、布石を置いた。
「編み目にも引っ掛からず落ちて行くから、笊って言うよりも、枠（わく）って言った方がいいんじゃない」と長沼が、継ぎ石を置いた。
「酒が落ちて行くっていうよりも、口の中に、どんどん吸い込まれて行くから、ブラックホールだろ」と筑紫が打目を置いた。
　僕らは、そう言って、声高に笑った。
「何だい、皆して、随分と言いたい放題じゃねぇかい」とシュウがぼやいた。
「別に馬鹿にした訳じゃねぇぜ。みんな、褒めたんだよ。なぁ？」と筑紫が言った。
『んだ、んだ』と僕は頷いた。

「まぁ、良いだに。それで、新歓コンパの話は続くんだけんどよ。新人の女の子が、店でゲロして潰れちまってさぁ。その介抱やら、後始末やらで大変だっただ よ。そうだ、タケは、知ってるよなぁ？前、ススキノの駅で待ち合わせしてた時に会った娘だよ。琴乃（ことに）って娘なんだけどさ」
『うん、覚えてるよ。東洋史の講義でも会ったんだ。シュウは、その日、講義さ来ながったけど』
「あの講義の前夜も寮で飲み会があってさ、朝起きれなかったんだよ。それで話は戻るけんど、その娘が潰れて大変だったんだよ」
「若しかしてシュウ、その後、送り狼になっちゃったとか？」と、筑紫がおどけて言った。
「俺が、そんな事する訳ねぇだに。もしそんな事したら、彼女に殺されっちまうだよ。俺は、ちゃんと２次会、３次会も行って、ラストは、深夜の大通公園で、先輩達と一緒にストームして帰ってきただに」
「えー、信じられねー。酔っ払ってストームなんかしたら余計に酔いがまわるだろう」と筑紫が呆（あき）れた顔をした。
「酔っ払ってやるからこそ、面白れぇだに」
『あの～、所で、ストームって、何だ？薪（まき）くべるやつ？』と僕が首を傾げた。
　シュウが、説明してくれた。
「アホ、それは、ストーブだろう。ストームってのはな、何人かで肩組んで円陣を組むんだ。それから、呪文みたいな歌を合唱して、その後、花一匁（はないち もんめ）みたいに足を上げて叫ぶんだ。そして、歌が終わったら、全員で渦巻きみたに、グルグル回りながら移動するだよ。それで、一旦、円陣がばらけたら、 また新しい円陣を作って同じ事をするんだ。それを、疲れ果てるまで、延々と繰り返すんだに。まぁ、ちょっと、いかれたフォークダンスってとこかな」
「でも、はたから見てたら、正気の沙汰とは思えないぜ、あれは」と筑紫が苦笑いした。
「ストームは、実際やってみないと、面白さが分からねぇだよ。でも土曜日は調子乗りすぎて、すっ転んじまたったけんどな」
　シュウは、ズボンをたくし上げて、大きな絆創膏（ばんそうこう）を見せた。
「とんだサタデーナイトフィーバーだね」と長沼が笑った。
「そんな事してるから、”３人揃っても、ただの馬鹿”って揶揄されるんだぜ」と筑紫が言った。　
「まぁ、先生みてぇなこと言うなよ。人生には、馬鹿になる時代が必要だで。つう事で、俺もロシア語のテストの勉強は、全くやってません」とシュウは開き直った。
「俺も、土日はバイトに励んでたから、勉強してないぜ。する時間はあったんだけどさ…」と筑紫が苦笑いした。
「したら、ちゃんと勉強してきたのは僕だけかい。困った奴らだなぁ。したら、ランチの後は、図書館に行って、少しは、あがいてみるかい？」と長沼が言った。
『んだな、早く行って勉強するべ』
「したら、僕は、ロシア語の次の英語で、和訳が当たりそうだし、予習でもしておくかな」
『あっ、そっか。今日は、英語もあったな。やべぇな、我にも、和訳の順番が回って来るなぁ…もう駄目だな、こりゃ』と僕は諦（あきら）めた。
「途中までは、訳してきたから、僕のノートを、後でコピーしちゃるよ」と長沼が言った。
『いやぁ、しかたねぇな。サンキュ』と長沼に頭を下げた。
「何も。お互い様っしょ。今度、僕が忘れてきた時は、タケにみせて貰うからさ」
『おう、何ぼでも見せるよ。したら、そろそろ、図書館さ行くべし』
　僕らは、立ち上がって、膳を持ち上げた。

第６４章　終了

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