第６１章　乳房の感触

　肩を揺らされて、気が付いた。瞼を開けると、そこに藤子さんがいた。
　頭が、ガンガン痛んだ。頭蓋骨の中に、割れた硝子が突き刺さったような感じだった。
　周りを見ると、多くの先輩たちが、緑のスタジャンを着て、帰り支度を始めていた。
「タケミくん、二次会は行ける？」
『無理っす。もう帰りたいっす』
「そうだよね。あんなに飲んだもんね」
『もう、頭ガンガンして、死にそうだす』
「まぁ、あれだけ飲めば、頭も痛くなるわな」
『んでも、トウコさんと一緒に飲めて楽しかったっす』
「私も楽しかったわ。ところで、タケミくんは、ススキノまで何で来たの？自転車？地下鉄？」
『地下鉄で来たっす』
「それじゃ、帰る方向が同じ先輩と一緒に、タクシーに乗ってもらうね。それでいいかな？」
『はい、いいっす。それで、トウコさんは、二次会さ行くんだすか？』
「私は、明日は朝から用事があるから行かないの。一次会は、自分が酔う前に、新人で酔っ払いだらけになっちゃたから、あんまり飲めなかったから、本当は行きたいんだけどね」
『すいません。飲み過ぎたっす』
「気にしないで。新歓コンパなんだから、飲むのは新人の仕事みたいなものだしね。それでね、住所が近い先輩に一緒に帰ってもらうから、タケミくんの住所教えて」
『えーと、斜め通沿いの北２３条だす』
「斜め通だったら、私のアパートの方向と同じだね。それじゃ、私と一緒のタクシーに乗って帰ろう」
『迷惑掛けてすいません』
「迷惑だなんて、飲ませたのはこっちだからね。それで、タケミくん、立ち上がれるかな」
「はい、大丈夫だす」
　藤子さんが、僕の手を取って、優しく引っ張ってくれた。

　僕は、藤子さんに付き添われて、宴会場を出た。
　意識は朦朧としていたが、藤子さんが付き添ってくれているという嬉しさだけが、僕の足を動かしていた。廊下やエレベーターで、何人かの先輩たちに声を掛けられたが、泥酔した頭では、殆ど理解出来なかった。
　夜風に当たって、外に出て来たことを自覚した。

　もう少し歩けば、タクシーに乗って帰れると思った瞬間、誰かに思いっきり尻を蹴られた。
「いてぇー」と叫んで、後ろを振り返えった。
　朦朧とした視界の中に、小麻子さんが仁王立ちしていた。
「あれぐらいで潰れるなんて、情けねぇな。それでも、秋田男児か、もっとシャキっとしろ、シャキっと。このホンジなしが」と、もう一本、蹴りが飛んできた。
「小麻ちゃん、もう、よしなよ。あれだけ飲んだんだから、潰れるのもしょうがないでしょう。一番飲ませたのは、小麻ちゃんなんだから、あなたにも責任があるのよ。それに、そんなに蹴ったら、タケミくん、可哀想でしょ」と藤子さんが、小麻子さんを戒（いまし）めた。
「はい、はい。分かりました。んじゃ、責任取って私が送り届けます」
「あれっ、でも、小麻ちゃん、二次会行くんでしょう？」
「富田さん、一次会で帰るんだって。明日の早朝から、用事があるんだってさ。だから、私もバイトあるから、一次会で上がることにしたんだ」
「そうなんだ、残念だったね」
「そうなのよ。でもね、一次会の後半に、富田さんと、たくさん話できて楽しかったよ」
「どう、芽はありそう？」
「多分ね」
「よかったじゃない。頑張ってね」
「ありがとう。それで、この酔いどれ野郎は、何処に住んでるんだ？」
「斜め通沿いで、私と方向同じだから、タクシーで送ろうとおもってたんだ」
「したら、私も同じ方向だから、一緒に行くよ」
「それは、助かるわ。タケミくん、痩せてるっていっても、男の人でしょ。さすがに一人で抱えられるか、ちょっと心配だったんだ」
「全く、世話の掛かるボケ茄子だな。したら先ず、表通り出て、タクシー拾おうか。ほら、タケゾウ。確り歩け」と背中に、小麻子さんの紅葉張り手が飛んできた。
　　藤子さんと二人っきりで帰れるという夢のようなチャンスが、小麻子の鬼婆により、脆くも潰されてしまった…僕の足取りは、さらに重くなった。
　足が縺（もつ）れる度に、小麻子さんから、
「ほら、気合入れて、ちゃっちゃと歩け」と気合を掛けられた。
　ススキノのメインストリートに出て、タクシーを捕まえると、小麻子さんは、勢いよく助手席に乗り、藤子さんは、優しく僕の手を引き、後部座席に乗せてくれてから、僕を支えて隣に座った。タクシーが動き出すと、眠気に抗えず、僕は、藤子さんの肩で眠りに落ちた。
「タケミくん、お家に着いたわよ」という藤子さんの声が聞こえた。
　気がつくと僕は、藤子さんの太腿を枕に眠っていた。そのまま、柔らかい太腿の上で寝ていたかったので、寝ている振りをした。
「タケミくん、着いたわよ。大丈夫？」と藤子さんが肩を叩いた。
　僕は、頭を上げようとしたが、アルコールに毒された体が言うことを聞いてくれなかった。
　後部座席のドアが開き、小麻子さんの蹴りが飛んできた。尾底骨を痛打された激痛に、悶絶した。
「何してんだ、この軟弱者が、情けねぇ。彼女いるくせにトウコに膝枕してもらうなんて、どう言うつもりだ。東京の彼女、泣いてるぞ。さっさとタクシーから出でろ」と、尻を叩かれてから、引き摺り出された。
「タケミくん、部屋は何階なの？」　
『４階だす』
「４階か。ここのアパート、エレベーターはないの？」
『ないっす。この階段だけだっす』
「そう、じゃ、一人だけだと大変ね。悪いけど、小麻ちゃんも手伝ってくれる」
「何ぼでも手伝うよ。でも、肩貸すにも私の身長だと、バランス悪いし、３人で並んで上るには、階段が狭いよ」
「そうね。したら、下からタケミくんのお尻を押してくれる」
「分かった。それにしても、情けねぇな。おなご二人に手を焼かせて。部屋までもう少しだべ、シャキッとせぇ。それでも、秋田の男だが、このボケ茄子が」
　小麻さんに、後ろから、尻をバシバシと突っ張りされながら階段を上がった。
　自分でも不甲斐なさを感じたが、そんな思いは直ぐに吹っ飛んでしまった。藤子さんに肩を担がれて階段を上っていると、外套を通してだが、彼女の乳房の感触を腋下あたりに感じた。その柔らかい感触に鼓動が高鳴った。

第６１章　終了

　→　第６２章　スパコイナイ・ノーチ　へ

　ご感想、ご意見を、メールでお寄せいただけると嬉しいです。
　お気軽にお送り下さい。
　office_asahina-satsuki-novel@sapporo.nifty.jp