第８章 愛子の不安
愛子は嫌な予感がした。石墨が、矢崎を誘って飲みに行くという話を聞いたからだ。パンフレットの打ち合わせをするらしいが、その件は既に、以前の会議で、軽井沢在住のプロのカメラマンに依頼することに決まっている。守銭奴の石墨なら素人カメラマンを使って経費を抑えるということも考え付きそうだが、何か釈然としなかった。
腹黒い石墨の事だから、何か企んでいるように思えてならなかった。それと同時に、酒の席で問題を起さなければ良いが。。と心配になった。今夜の相手は男だから、間違いはないとは思うが、社外の人間と何かトラブルを起せば一大事だ。
去年の忘年会で、石墨がセクハラ問題を起した。それ以前の飲み会でも、相沢清子という若い女性社員の尻や胸を触るというセクハラをしていたが、ついに、忘年会の二次会後に、無理矢理ホテルに連れて行こうとした。
幸い相沢が逃げて事なきを得たが、後日、報告があり、その醜聞は社内を駆け巡った。彼女への説得と、示談金で表沙汰になる事はなかったが、もし裁判沙汰にでもなればホテルのイメージダウンは必至だった。
石墨は、濡れ衣だといって最後まで過ち認めようとはしなかったが、訓告と減給という処分となったが、社内からは処罰が甘いという声が上がった。愛子からも厳罰に処するようにと、社長の寛司に言ったのだが、彼は、歯切れの悪い返事をするばかりだった。順調な時は自信満々のくせに、何か大きな問題が起きると、直ぐに逃げようとする。
煮え切らない寛司の態度を見て、石墨に何か弱みでも握られているのではないかと心配におもった。
相沢清子は、以前、群馬県の高崎市のホテルに勤めていたが、一年前に、ヴィラ・ヘメロカリスに中途採用となった。入社後、石墨の部署で働いていた。
相沢は、ブライダル部門を志望して入社したのだが、ブライダル部門は、人気があり人材も豊富だったので、希望通り行かなかった。そういう経緯もあったので、セクハラ問題後、彼女の希望を受け入れて、稲葉が統括いているブライダル部門へ異動させた。
しかし、その異動が、石墨の稲葉に対するライバル心を増大させ、稲葉に対する辛辣な言動が激しくなる一方だった。
社内幹部の取りまとめ役をしている愛子には、石墨が頭痛の種だった。仕事は滅法出来るが、熱くなり過ぎるきらいがあった。
セクハラ問題でごたごたしている最中に、愛子と稲葉が不倫をしているという噂が、社内に流れた。その噂の出所が石墨ではないかと疑った。自らの醜聞をかき消すためにデマを流したに違いない推測した。石墨ならやりかねない。人を蹴落としてでものし上がっていこうとする男だ。その件があってから、彼に対する警戒を一層強めた。
愛子は、稲葉を社長室に呼んだ。
「用件は何でしょうか、副社長」
「悪い情報よ。石墨専務が、今夜、矢崎というアマチュアのカメラマンと社外で会うみたいなの」
「何故、カメラマンなんかと？」
「パンフレットの仕事の打ち合わせらしいわ」
「専務は、地元のカメラマンを使うことに最後まで難色を示していましたが、会議で決まったはずです。それに、既に仕事は、地元のカメラマンに発注済みですよ」
「何か裏がある気がするの。セクハラ問題以来、専務の動向がおかしいわ。お互い、彼の動向には注意しましょう」
「分かりました。それで、専務は何処でカメラマンと会うんですか」
「おそらく、佐久にある恋時雨(こいしぐれ)という店だと思うわ。彼から回ってくる領収書の殆どは、恋時雨の物だから」
「了解しました。早速、網を張りましょう」
稲葉は、社長室を退出してから裏口から外に出て、携帯電話を取り出した。
｢もしもし、俺だ。今夜、あいているかい？頼みたい仕事があるんだ。佐久の恋時雨という居酒屋で張って欲しいんだ。石墨が、矢崎という初老の男を連れて行くはずだ。よろしく頼むよ。この埋め合わせは、後でたっぷりするからさ｣
稲葉は、電話を切ってから、社長室に戻った。
第８章 終了
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