第１０８章　ふるさとの香り

　実家の玄関を開けて、『ただいま』と声を上げると、母が出迎えてくれた。
　車が庭に停まってあるので、父は家に居るようだったが出てこなかった。奥の書斎にでも篭もっているのだろう。
「お邪魔致します。安尾（やすお）って言います。宜しくお願いします」
　シュウが、母に向かって礼儀正しく挨拶をした。
「何も、狭い家ですけど、ゆっくりして行ってたんせ。えーと、確か名前は、シュウ君ね。電話でタケから伺ってます。札幌では随分とうちの息子がお世話になってらみたいで」
「いいえ、お世話になってるのは、こっちの方ですよ」
「そう？タゲは人の世話するような柄でねぇど思ってだばってなぁ。大学行って、少しは変ったんだべがなぁ。まぁ取り敢えず、玄関で立ってないで、上がってけれ」
「すいません、お邪魔します」
　僕たちは、靴を脱いで家に上がった。
　廊下を歩いていて部屋に向っていると、背後から、母の甲高い声が響いた。
「タゲ、先に湯さ入るが？」
『んだな、ちょっと汗掻いだがら、先に風呂にするがな。シュウ、それで良い？』
「うん。良いよ」
『んだば、先に湯さ入る』

　部屋に入ってから荷物を下ろすなり、僕とシュウは、ゴロンと絨毯に寝転がった。
　僕は、天井を眺めながら言った。
『シュウ、先に入って来ていいよ』
「泊めてもらう上に、一番風呂も頂くのは申し訳ねぇだよ」
『何も、気にするな。遠慮しねぇで先に入ってけれ』
「そうかい。じゃぁ、お言葉に甘えて入らせて貰うかな」
『バスタオルは、脱衣所さ置いてあるから、適当に使ってけれ。焦らねくて良いがら、ゆっくり入って』
「うん、ありがとう。じゃぁ、早速、入ってくるかいな」と、むっくりと起き上がった。
　風呂場の場所を説明すると、シュウは着替えを手に持って、部屋を出て行った。

　シュウは、１０分ぐらいで風呂から上がってきた。
　僕が先に入れば良かったなと思った。人様の家で一番風呂だと気が引けて、のんびりと入ってられなかったのかもしれない。気を使ったつもりが、逆に気を使わせてしまったのかもしれない。
　僕は、着替えのトランクス一丁を手にして、風呂に向かった。
　廊下を歩いている途中、台所の横を通ると、きりたんぽの香りが漂ってきた。鶏だしの美味そうなにほいだった。匂いに誘われて台所を覗くと、母が晩御飯の仕度をしていた。
　コンロの鍋から湯気が上がっていた。唾をゴクンと飲み込んで、早く食べたい気持ちを抑えつつ、風呂場に向かった。
　長い旅を終えて、のんびりと湯に浸かって疲れを取りたいのは山々だったが、きりたんぽの香りにやられてしまった。早く食べたいという気持ちに急かされて、カラスの行水で風呂から上がった。
　シュウが早々に風呂を上がった理由が分かった気がした。おそらく一番風呂に気兼ねした訳ではなく、僕と同じように、きりたんぽの匂いにやられたのだ。
　 バスタオルで身体を拭き、新しいトランクスをはいた。Ｔシャツの着替えは部屋の箪笥に入ったままで持ってきていなかった。脱衣所に脱ぎ捨ててあったＴシャ ツを再着しようとも思ったが、２日間着っぱなしで薄汚れていたので着るのは止めた。パンツ一丁で、バスタオルを頭にかぶって部屋へ向かった。
　部屋に向う途中で、玄関の前を歩いている時、扉が開いて、
「ごめんください」と、女性の来客の声がした。
　驚いて玄関を見ると、幼馴染の芹奈だった。
「おっ、タゲ。帰ってたんだ」
『今さっき、家さ着いたばっかりだ。芹奈こそ、帰ってきたんだな』
　僕は、頭髪をバスタオルでゴシゴシやりながら言った。
「うん、ちょっと野暮用で、帰って来たんだ」
『ふーん、野暮用ね』
「あーら、セリちゃん。元気だった」と僕の後ろで母の甲高い声が響いた。
「どうも、おばさん。ご無沙汰してます。これ、お土産です」
　芹奈は、菓子折りを母に手渡した。
「あら、気を使ってもらって、ありがとうね。これもさっき帰ってきたばっかりなんだばって、お土産の一つも買って来ねぇがったよ」と、自分の息子の尻を軽く叩いて、僕がお土産を買い忘れたのをチクリと皮肉った。
「ほれ、タゲ。何、パンツ姿でボゲッと突っ立てらの。セリちゃんがいくら幼馴染だからって、お互い年頃の男女なんだがら、そんたら格好でいるのは失礼だべ。早く部屋行って、着替えこい」と叱られた。
「良いですよ、気にしねぇで。こっちは、お土産を渡しに来ただけだがら、直ぐ帰ります」
「何、水臭いこと言ってらの。先ず、上がってちょうだいよ」
　母は、芹奈を家の中へ促した。
　そのうち、父が、奥の書斎から出てきた。
「おっ、セリちゃん。良く来たな。そんた所で立ってねぇで、先ず上がってけれ」
「おじさん。お晩です。ご無沙汰してます」
　芹奈は、軽く会釈をした。
「何も何も、そんたら挨拶はいいがら、まんず、上がってや。ゆっくりして行って」
　父は、満面の笑顔で言ってから、僕の存在に気付いたようで、
「おっ、タゲ、帰ってきてだが。んが、いつの間に帰って来てきてたんだ？」
『さっき、帰って来たんだよ。ただいまって言ったべしゃ』
「あぁ、んだのが、読書に熱中してて、気付かねがったな。悪りぃ悪りぃ」
　父は、後退した頭皮を撫でた。
「セリちゃん、今晩、お父さんは居るんだが？」
　母が、芹奈に聞いた。
「今日は、出番で、いません」
「んだば、晩御飯まだ食ってねべ？」
「はい」
「んだば、ちょうど良いよ。家で一緒に晩飯食って行ってよ」と母が言った。
「いやぁ、んでも、今日はせっかく、タゲが帰ってきたんだし、遠慮しておきますよ。家族、水入らずで過ごしてけれ」と、芹奈は手を横に振って断った。
「何も、セリちゃんは家族みたいなもんだから、遠慮なんていらねぇ。それに、タゲの大学の友達も一緒だし、多いほうが楽しいべ」
「晩飯は、タンポだがらよ。セリちゃんも一緒にタンポ食うべ」
　父も、満面の笑みで、芹奈を晩餐に招いた。
「タンポかぁ。おばさんのタンポは絶品だがらなぁ。実は玄関さ入った時に、タンポのいい香りするなぁって思ったんですよ。やっぱり、ふるさとの香りには勝てねぇな。んだば、お言葉に甘えて、お邪魔します」
　タンポの香り誘われて、芹奈も一緒に晩御飯を食べることになった。

第１０８章　終了

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